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『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワーク .....司馬遼太郎氏は原作『坂の 上の雲』の映像化を終世断っていた.....”やはり書物にとどめておきたい”

ETV特集「日本と朝鮮 2000年 第10回」について 安川寿之輔氏

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 2010年2月6日 安川寿之輔
はじめに
 醍醐さんからの視聴の呼びかけもあり、新聞のテレビ欄の「“坂の上の雲”が描かなかった朝鮮への進出 征韓論から日清戦争へ・・・」という紹介を見て、NHKは<坂の上の雲>放映の若干の罪滅ぼしをするのかナ、とかすかな期待を懐いて、日頃の就寝時間を変更して視聴したが、結果はやはりガックリでした。

@ 冒頭の江華島事件の背景についての日本側研究者の坂野潤治(敬称、略)の説明は、勝海舟について大変な誤りを犯していました。坂野は、「幕末の海軍奉行の勝海舟の時から征韓論が海軍では物凄く強くて・・・明治8年の日本の海軍は戦争をやりたくてたまらなかった」と説明した。しかし、勝海舟は幕末以来一貫して東アジア三国同盟・連帯論者であり、明治6年に参議兼海軍卿となった勝は、明治7年の台湾出兵の閣議決定に猛反対をして辞職した人物である(勝海舟はこの番組では、「戦争をやりたくてたまらなかった」海軍の代表格としてのみの登場)。
 この番組で勝海舟を登場させるとしたら、アジア侵略の「脱亜」の福沢諭吉の道のりと並んで、同じ時代に一貫してアジア連帯を主張して、とりわけ勝海舟が日清戦争と戦後処理に徹底して反対し、戦勝に湧く日本の民衆にたいしても、「一時の勝利に自惚れるな」と警告し、「この次負ける(「逆運に出会う」)のは日本の番だ」と指摘して、1945年の日本の敗戦を予言した人物として描くべきであろう(王妃=明成皇后殺害事件についても、勝は「閔妃殺しで世界に恥を曝した」と批判)。

A この番組を担当した塩田純チーフプロデューサーは、「シリーズには日韓双方の学者が必ず出演」したことを自負して、それが歴史を「複眼で見る」ことであると考えている様子である(1月30日「赤旗」)。被侵略国の学者を起用することが「複眼」の第一歩であることは当然である。しかし、今回の日韓双方の二人の学者は、全体として福沢諭吉とキム・オッキュンの関係を好意的に評価する学者を起用するというバイアス・偏向、つまり「単眼」を選択していることを見落としてはならない。

  今回の番組では、福沢諭吉が、アジアからは朝鮮の「近代化の過程を踏みにじり、破綻へと追いやった、わが民族全体の敵」(韓国)、「最も憎むべき民族の敵」「帝国主義的拡張論者」(台湾)と評価されており、日本軍性奴隷問題に先駆的に取り組んできた尹貞玉さんの分りやすい表現では、「日本の一万円札に福沢が印刷されているかぎり、日本人は信じられない」と評価されている側面は見えてこないのである。

  同様に、キム・オッキュンへの福沢の「援助」についても、「開化派の収攬・育成も、日本の影響力と独占的な国家利益の拡大・深化のため」という「定説」(日本近代史大系K『対外観』岩波書店)、「福沢にとっては、侵略のための文化工作にしか過ぎなかった。」(尹健次『朝鮮近代教育の思想と運動』東京大学出版会)という評価は、見えてこない。

   c 一番許せないと思ったのは、福沢とキムの関係を批判的に見るのは、戦後日本の歴史学のせいであるという坂野の発言である。「歴史の現場」に即した同時代人の目という問題である。門下生の井上角五郎が証言しているように、福沢諭吉は、甲申政変に際して刀剣、爆薬などの武器提供を担った以上にクーデターに深くかかわりをもち(福沢がクーデターのことを「知らなかったはずはない」という坂野のコメントもお粗末だった)、「目ざす当の敵は支那なるが故に、・・・海陸大挙して支那に進入し、直ちに北京城を陥れ」、天皇の「御親征の挙断じて行ふ可きなり。」などと、福沢の「時事新報」紙は何度か発行停止処分をうけたほどの強硬な軍事介入論であったから、1885年の上野の対支示威運動の会衆三千人が、市中デモ行進の際に時事新報社前で「同社万歳」を連呼した事実はある。
 しかし、1881年『時事小言』で「無遠慮に其地面を押領」するアジア侵略路線を確立して以来の当時の福沢は、同じ同時代人である民権陣営からは「朝鮮処分ニ関シテ、・・・徒ラニ無鉄砲ノ大馬鹿論ヲ唱へ・・・」(『扶桑新誌』)、「法螺を福沢、を諭吉」(「日の出新聞」)などと嘲られ、とりわけ吉岡弘毅(元外務権少丞)からは、「我日本帝国ヲシテ強盗国ニ変ゼシメント謀ル」福沢の道のり(つまり、日本の強兵富国の近代化路線)は、「不可救ノ災禍ヲ将来ニ遺サン事必セリ」というきびしくかつ適切な批判(後世の南京大虐殺・原爆投下・東京大空襲・沖縄戦等の悲劇の予告)をうけていたのである。

  番組では、『時事小言』の翌1882年の福沢の論説「朝鮮の交際を論ず」は、欧米によるアジア侵略の「類焼を予防する」ための防御的な政策の表明と把握していた。しかし私は同じ論稿の「朝鮮国・・・未開ならば之を誘ふて之を導く可し、彼の人民果して頑陋ならば・・・武力を用ひても其進歩を助けん」という主張から、福沢が朝鮮を「文明」に誘導するという名目で武力侵略を合理化したものと把握した。つまり朝鮮が「頑陋」であることが、武力行使の容認・合理化につながるという帝国主義的な「文明の論理」の確立である。その結果福沢は、一斉に朝鮮・中国への丸ごとの蔑視・偏見・マイナス評価の垂れ流しを開始した。
 それが両事変前後の「朝鮮人は未開の民・・・極めて頑愚・・・凶暴」「朝鮮人・・・頑迷倨傲・・・無気力無定見」「支那人民の怯懦卑屈は実に法外無類」「チャイニーズ・・・恰も乞食穢多」「朝鮮国・・・人民一般の利害如何を論ずるときは、滅亡こそ・・・其幸福は大」などという発言である。最後の発言は、朝鮮人は英露の支配下で「終身内外の恥辱」に耐えよという侮蔑的な社説であり、時事新報は、またまた発行停止処分をうけた。

  e 「脱亜論」は、甲申政変(の直接的な支援)に失敗して落ち込んだ時に書いた例外的な福沢のアジア認識であるという誤った認識(文部省の教科書検定官がこれを理由にして、福沢のアジア認識の典型として、「脱亜論」を教科書に引用・記載することを誤りとした違憲の検定に対して起こされたのが、「高嶋(横浜)教科書訴訟」である)についは、以下の通りである。
  1879年『民情一新』において、日本の近代化のモデルの欧米「先進」諸国が社会主義・労働運動で「狼狽して方向に迷う」という新たな現実を認識した福沢は、1881年『時事小言』と翌年の『帝室論』によって、不動の保守思想を確立した。上記したように、『時事小言』でアジア侵略路線を提示し、翌年の(テレビでも紹介された)「朝鮮の交際を論ず」で「亜細亜東方」の「盟主」日本がアジアを「文明」に誘導するという名目で、武力行使を合理化した福沢は、壬午軍乱に際しては「東洋の老大朽木を一撃の下に挫折」させるための北京攻略を要求し、1882年『兵論』では、「脱亜論」同様に、「支那国果して・・・諸外国の手に落ることならば、・・・袖手傍観するの理なし。我も亦奮起して共に中原に鹿を逐はんのみ。」と提唱した。
  同年12月の「東洋の政略果して如何せん」において、「印度支那の土人等を御すること英人に倣ふのみならず、・・・」と、大英帝国に比肩する帝国主義強国日本の未来像を描き出した福沢は、翌1883年の「外交論」では、「食むものは文明の国人にして食まるるものは不文の国とあれば、我日本国は其食む者の列に加はりて文明国人と共に良餌を求めん」と書いて、侵略こそを文明国の存在証明とした。したがって、翌1884年の甲申政変においては、自ら武器提供を担った福沢は、「朝鮮京城の支那兵を鏖(みなごろし)にし、・・・直ちに北京城を陥れ」「支那四百余州を蹂躙する」ことを呼号し、「神功皇后の故例に倣ふて・・・御親征の挙断じて行ふ可きなり。」という最強硬の武力行使論を展開した(「時事新報」紙は発行停止処分)。
  清仏戦争について、1885年3月の論説「国交際の主義は修身論に異なり」において、「仏軍の戦勝とさへ為りて、・・・道徳に於ても亦正義者の名を・・・我輩は決して之を咎めず、寧ろ賛成して只管其活動を欽慕するものなり。」と表明した一週間後に、福沢は「脱亜論」を書いた。以上の福沢の戦争・外交論の流れを見れば、「脱亜」日本が「西洋の文明国と進退を共にし」て、朝鮮・中国の帝国主義的「分割」への参加を提言した「脱亜論」のアジア侵略路線が、この時期の福沢にとっては不動の「国策」ともいうべきものになっていたことは、あまりにも明らかであろう。

  福沢諭吉の『学問のすすめ』の紹介において、NHKは冒頭句について、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。」の伝聞態を勝手に削除・無視したことと、「坂の上の雲」初回とまったく同様に、「一身独立して一国独立す」についての福沢研究史上最大の誤読を踏襲して「丸山諭吉」神話を再現したことについては、『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワークHPの<福沢諭吉と『坂の上の雲』(PDF)>を、ご覧いただきたい。

「坂の上の雲」の西村与志木プロデューサのメッセ−ジ

スペシャルドラマ「坂の上の雲」HP http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/NHKに、西村与志木プロデューサのメッセ−ジがあります。「成功」と評価し、今後、再放送やDVD化もやり、さらに深めていくと決意を語っている。次回は11か月後で「間延び」することなどは、相当気にしている様子です。
(引用) http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/outline/pop/06.html  

  http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/20071122et07.htmより
「『坂の上の雲』のドラマ化はNHKの悲願だった」と語る西村与志木エグゼクティブ・プロデューサ

第1回の放送以降、「感動した。何度でも放送してほしい」「90分の長いドラマなのに、一瞬もテレビの前から離れられなかった」などの声が多く寄せられ、放送を待ち望んでいたみなさまの期待に応えられたのではないかと思います。2010年放送の第2部では、第1部で描かれた人間ドラマがさらに深まり、2011年放送の第3部では大スペクタクルが展開します。音楽で言えば、クレッシェンド。ドラマ全体が先へ行くほどスケールが大きく、深くなっていくのです。ことに第2部は、第1部を「青春編」とするなら、言わば「友情編」。真之が、子規と広瀬という大切な友人2人の死を迎えることも含め、大きな友情の物語を、情感を込めて描いていきます。
 第1部終了から第2部開始まで約11か月、間が空きますが、この時間の長さゆえにドラマのイメージがさらに膨らんでいくことを期待しています。3年かけてドラマを見る、みなさまの年月と作品が重なることで、より深みを増していくのではないか、と。当然、第2部の放送直前には第1部を再放送することも考えています。よい小説は何度読み返してもそのたびに発見がある、と言われますが、この作品も何度見てもおもしろい、発見があるドラマを目指しました。何度でも見ていただいて、新しい感動を発見していただければと思います。

内野光子のブログ 『坂の上の雲』を見ました

『坂の上の雲』を見ました(1放送にいたる背景
NHK(総合)テレビの「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)の第一部1〜5回が終了した。第二部4回分の放映は今年12月だそうで、再来年12月の第三部をもって完結するという。原作は1968年から1972年にかけて産経新聞に連載されていたというが、その「評判」を聞くようになったのは、管理職を自認するような世代のサラリーマンが通勤電車で文庫本を熱心に読んでいるのを見かけるようになった頃だろうか。リーダー成りきりの司馬ファンが、周辺にも見受けられた。

映像化は軍国主義に傾きやすいと、決して了承しなかった原作者だったが、1996年の他界以降、NHKは遺族とのドラマ化交渉を続け、ようやく取り付け、その構想を発表したのが2003年。脚本を手掛けていた野沢尚の自殺が報じられたのは覚えているが、調べてみると2004年6月だった。彼はテレビや映画のシナリオライターとして数々の賞もとり、ヒットメーカーの一人だったはずである(野沢尚公式サイト参照)。野沢の作品は男女の愛憎が絡むドラマやミステリーが多かったようでもあり、私自身ほとんどテレビドラマを見ていなかった時代ながら、司馬の歴史小説とはミスマッチのような気もしていた。野沢はどこまでの脚本を書いていたのか。海老沢会長時代からNHKの「不祥事」がつぎつぎ発覚し、すぐに撮影に入るところまでは進捗しなかったが、2007年から撮影が始まり、2009年に入って、とくに、その後半の番組宣伝は異常なほどで、あの番宣のすさまじさに本番を見たくなくなったという友人もいるくらいだ。

NHKが総力をあげて、豪華なキャスト、スタッフを投入し、度重なる海外ロケ、技術を駆使した映像処理など、民放では考えられないお金の使いようは、今回の放映でよくわかった。財源はおおかた受信料にもかかわらずである。

また、国内ロケは、明治の面影の残る各地をめぐっている様子が地図入りで解説され、大がかりな「ご当地ドラマ」の様相を呈し(『NHKスペシャルドラマ・ガイド坂の上の雲』2009年12月 )、これで視聴率を稼ぎたいのかもしれない。わが町の『こうほう佐倉』(2009年12月15日号)でも「平成21年の出来事」として「9月28日NHK坂の上の雲、旧堀田邸で収録、第二部7回に登場する」と写真入りで伝えられているではないか。(続き)

2010年1月19日 (火)
『坂の上の雲』を見ました(2幾つかの疑問〜小説とドラマと
放送の冒頭には、松山の城や野原を駆けめぐる明治の少年たちの映像を背景に、「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」という渡辺謙の重々しいナレーションが入り、画面にも印字された。さらに、その語りは続く。

「四国は伊予の松山に、三人の男がいた。この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦をたて、それを実施した。その兄秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵と言われたコサック師団をやぶるという奇跡を遂げた」
と、このドラマの主人公二人の軍人兄弟を紹介し、さらに続ける。

「もう一人の正岡子規は、俳句、短歌といった日本のふるい短詩型に新風を入れてその中興の祖となった俳人である」

第一部は、明治の開化期から日清戦争を経て、日露戦争前夜まで、秋山兄弟の軍人としての足跡と子規の結核と詩歌との闘いの軌跡が同時進行の形で展開されていた。その舞台は、子規の東京・松山であり、二人の軍人の「出世」にともない、旅順、満州、朝鮮、フランス、ロシア、アメリカ、イギリスと広がる。三人が立ち会う戦争と出遭う事件や人々とのエピソードが織りなす物語でもあった。

全体的に、主人公たち(秋山好古:阿部寛、秋山真之:本木雅弘、正岡子規:香川照之)は、通常ならば、いわば主演クラスのタレントが「贅沢に」に起用されて演ずる著名な歴史的人物とやたら遭遇し、思わせぶりに天下国家を語るのだから、演ずるキャストもスタッフもさぞかしイイ気分なのだろうな、といった印象で、視聴者はやや置き去りの感がするのだった。

ドラマでは、荘重に、ときには明るく、国家、戦争、民族、家族や文芸などが語られる。さらに日本の政治や外交上の重大な事柄などはナレーションでいともあっさり片付けられる。私にとって疑問や気になる点を記しておきたい。いまは、印象批評に傾くが、今後調べた上で再考できればと思っている。たとえば、ドラマ化と原作者の関係、歴史小説と史実の関係、近代史における軍事史―政略・戦略・戦術の強調、天皇の役割、原作とドラマにおける正岡子規の役割、ドラマに登場する女たち〜正岡律のクロースアップとその意味など。
.ドラマ化と原作者の関係
原作者、司馬遼太郎の『坂の上の雲』テレビドラマ化への反対の意思表示は、産経新聞に連載中、NHKの申し出に「やっぱり無理やで」との答えたことに始まる(西村与志木「制作者からのメッセージ」『NHKスペシャルドラマ・ガイド坂の上の雲』168p)。司馬の危惧は、@戦争の映像化は戦争賛美と取られかねないA当時のテレビ技術では小説のスケールを映像化できない、というものであった。司馬の没後も夫人福田みどり氏は、あるインタビューでつぎのように答えていた(tarokanja投稿「Community」16号2009年12月号 6p)。

「本人は『坂の上の雲』が軍国主義と間違われることだけは何より嫌だから『映像化だけは絶対断ってくれ。これは遺言だ』といつも言ってました。だから、これだけは守らねばと私は思っているんですけどね」
(『司馬遼太郎―伊予の足跡』アトラス出版社 1999年5月)

前述のNHK西村プロデューサーによれば、2000年になって、@東西冷戦の対立構造の解消A映像技術の進歩B活字離れといわれる若者を原作の小説に呼び戻したいとの理由で、みどり夫人に対し、テレビドラマ化の説得を開始し、2001年にはドラマ化が具体化した。ここに掲げられた理由の@は、司馬自身は1996年まで存命であったことからも理由にはならないし、Aは、技術と言うよりかけるべき時間と予算の問題であり、Bに至っては、若者自体がこのドラマを見るかどうかの問題であり、小説の売り上げにストレートに寄与するものか、むしろ、原作・ドラマ化周辺の書物の方が若干売れることになったかもしれない。原作者の固い遺志と著作権継承者の意思の齟齬の問題は依然として残されたままである。(続く)

2010年1月29日 (金)
『坂の上の雲』を見ました(3)幾つかの疑問〜小説とドラマと〜日清戦争の原因をめぐって
2.歴史小説と史実の関係
今回のNHKのドラマ化は、司馬の歴史小説を原作とするもので、フィクションなのだから、歴史に忠実かどうかあまり目くじら立てることもない、という人も多い。しかし、原作者自身が、この小説についてつぎのように語っていることは見逃せない。

@「この作品は、小説であるかどうか、じつに疑わしい。ひとつは事実に拘束されることが百パーセント近いからであり、いまひとつは、この作品の書き手―私のことだ―はどうにも小説にならない主題をえらんでしまっている。」(「あとがき四」『坂の上の雲』(単行本第4巻1971年、文庫本第8巻収録 文芸春秋)

A 「『坂の上の雲』という作品は、ぼう大な事実関係の累積のなかで書かねばならないため、ずいぶん疲れた。本来からいえば、事実というのは、作家にとってその真実に到達ための刺激剤であるにすぎないのであるが、しかし『坂の上の雲』にかぎってはそうではなく、事実関係に誤りがあってはどうにもならず、それだけに、ときに泥沼に足を取られてしまったような苦しみを覚えた。」(「首山堡と落合」『司馬遼太郎全集28巻月報』1973年、文庫本第8巻収録 文芸春秋)

文献・資料探索や新資料発見の苦労を自慢話のように記す著作や論文もうんざりだが、上記の司馬の述懐はどう読むべきか。官修の戦史がアテにならないことは何度か述べている司馬なので、典拠や参考文献の記載こそしないが、『坂の上の雲』は「事実」に即して書いたことを公言していることになる。とすれば、読者の多くはその記述を大方事実として読み進めるであろう。その記述に、その当時すでに史料的な裏付けをもって証明できる大きな間違いがあるとしたら・・・。そして、その後の研究で明らかになったことがあるとしたら・・・。
3.日清戦争〜小説・ドラマの検証
日本近代史の専門家たちは、たとえば、日清戦争についてのつぎのような小説での記述@ABを指摘した上で、これらを質している(中塚明『司馬遼太郎の歴史観』高文研 2009年8月。中村政則『<坂の上の雲>と司馬史観』岩波書店2009年11月)。さらに、ドラマの第1部での該当部分とを検証してみよう。ドラマにおいては、日清開戦の理由が明確に語られる場面というのは、どの辺だったろうか。
小説
@そろそろ、戦争の原因にふれねばならない。原因は朝鮮にある。といっても、韓国や韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば、朝鮮半島という地理的存在にある。(第2巻48p)
Aこの戦争は清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった。(第2巻49p)
B韓国自身、どうにもならない。李王朝はすでに五百年もつづいており、その秩序は老化しきっているため、韓国自身の意思と力で自らの運命をきりひらく能力は皆無といってよかった。(第2巻50p)
C 参謀本部の活動はときに政治の埒外に出ることもありうると考えており、ありうるどことか、現実ではむしろつねにはみ出し、前へ前へと出て国家をひきずろうとしていた。この明治二十年代の川上(操六)の考えかたは、その後太平洋終了までの国家と陸軍参謀本部の関係を性格づけてしまったといっていい。――日清戦争はやむにやまれぬ防衛戦争ではなく、あきらかに侵略戦争であり、日本においては早くから準備されていた。と後世いわれたが、この痛烈な後世の批評をときの首相である伊藤博文がきけばびっくり仰天するであろう。伊藤はそういう考えかたはまったくなかった。が、参謀次長川上操六にあっては、あきらかに後世の批判どおりであるといっていい。(第2巻54〜55p)
D川上は外相陸奥宗光と内々で十分なうちあわせをとげていた。短期に大勝をおさめるしごとは川上が担当し、しおをみてさっさと講和へともってゆくしごとは陸奥が担当する。この戦争は、このふたりがやったといっていいだろう。(第2巻61〜62p)
E韓国に対する大鳥(圭介)の要求はただふたつである。「清国への従属関係を断つこと。さらには日本軍の力によって清国軍を駆逐してもらいたいという要請を日本に出すこと」であった。(第2巻62〜63p)
F(英国汽船)高陞号の船内は騒然としており清国兵は船長以下をおどし、下船させなかった。東郷はこの間の交渉に二時間半もかけたあげく、マストに危険をしらせる赤旗をかかげ、そのあと、撃沈の命令をくだした。浪速は水雷を発射し、ついで砲撃した。高陞号はしずんだ。船長以下船員はことごとく救助されたが、清国兵はほとんど溺死した。(第2巻65p)
ドラマ
@明治27年春、朝鮮半島に大規模な農民の反乱が起きた。東学党の乱である。朝鮮政府が清国にたいして救援を要請した明治27年6月1日の翌日、日本の閣議で出兵が決定したのを受けて、出兵自体に慎重な伊藤博文首相(加藤剛)に陸奥宗光外務大臣(大杉漣)、参謀次長川上操六(国村準)とが大量の出兵を決意させる場面。その説得に憲法上の天皇の統帥権を持ち出して、出兵・作戦の権限は首相に権限はなく、運用は参謀本部にあるとする。そこでのナレーションの主旨は次のようであった。「当時、陸軍の至宝といわれた陸軍参謀次長川上操六。いっぽう、カミソリといわれた外務大臣陸奥宗光。この戦争は、このふたりが始めたといっていいだろう。」(第3回「国家鳴動」)
A明治27年7月25日、東郷平八郎大佐(渡哲也)が艦長の「浪速」が、清国の兵と武器を積んだ英国汽船「高陞号」と遭遇、投錨を告げるが満載の清国兵たちが抵抗したので撃沈。清国への宣戦布告は8月1日であったが、ここでは、東郷の手続きと判断が国際法に照らして合法であることが強調されていた。(第4回「日清開戦」)
以上は、原作における日清戦争の開戦理由の記述と思われる個所、小説@〜Fであり、ドラマにおいては判定しにくいが、該当すると思われる場面@Aである。原作における日清開戦への総論的な記述は@ABCであり、各論的と思われるDEFは、局面における日本のとった行動に対する司馬の評価がうかがえる。
専門家ではない私でも、司馬の原作における断定的口調の極論には「?」も多く、にわかに信じがたい。日清戦争といえば、明治27年(1894年)8月1日の宣戦布告から翌1895(明治27年)4月17日の下関条約調印まで指すが、布告以前の高陞号の撃墜からすでに始っていたといえる。しかし、その2日前の7月23日には、日本軍が朝鮮ソウルの王宮を占拠し、国王を捕え、清国軍攻撃を日本に公式要請させて、開戦の口実としたことは、近年の上記中塚の研究などにより検証されている。公的な戦史では、日本軍は、王宮における突発的な日朝の兵の衝突から国王を保護して「お慰め」した、ことになっているが、これにさえ、司馬はまったく触れていないし、ドラマでもいっさい触れてはいない。小説@の朝鮮の地理的条件やBの侮蔑的ともいえる朝鮮無能力論は、全編を貫く司馬の朝鮮観であるが、ドラマの会話やナレーションでは、さすがに差別的な表現は避けられていた。また、ドラマで強調されたのが、日清開戦で果たした陸奥と川上の役割だった。小説CDにも見られるが、ドラマでは、もっと端的に、この二人がはかって伊藤博文をだますような形で大量派兵へと踏み込んだように描かれていた。そこには小説よりさらに策略家としての二人に焦点をあてた運びとなっている。しかし、日清戦争自体が侵略主義的な戦争であったという、定着しつつある論(中村177〜8p)からは、ますますかけ離れた展開をするのだった。(続く)

2010年2月 3日 (水)
『坂の上の雲』を見ました(4) 幾つかの疑問〜小説とドラマと〜正岡子規の実像を求めて
.正岡子規の実像を求めて
 前回は、主として日清戦争の原因をめぐって、小説とドラマでどのように語られているか、原作とドラマとの違いはあるのか。それらが史実であるのか否か、歴史書ではどうなっているのかの観点から、検証してみたが、結構面倒な作業になってしまった。映像の検証は難しい。以下では、この小説、ドラマにおいて正岡子規がどのような役割を果たしているのか。描かれた子規像、あわせて妹の正岡律像と、残された足跡、「実像」との隔たりを検証しようと思う。学生時代から短歌にかかわって来たので、子規との出会いは何度かあったが、その出発点は、学校の教科書や幾つかの近代短歌史で出会ったときの正岡子規像と『坂の上の雲』の正岡子規像とにはいささか異なることに興味を持ったことにある。なお、退職後、メデイア史を勉強することになって、明治の新聞を調べる中、新聞『日本』で正岡子規の従軍記事に出会ったときも、子規のあらたな一面に触れた思いがしていた。日清戦争の従軍記者を体験した子規については「子規の従軍―<君が代は足も腕も接木かな>考」(『運河』1997年12月、『現代短歌と天皇制』風媒社 2001年所収。 PDFにて後掲)を書いているので、後掲をご覧いただければと思う。

<小説>
 伊予松山に生まれた三人の主人公の一人となった正岡子規は、小説の冒頭で「俳句、短歌といった日本のふるい短詩型に新風を入れて中興の祖になった」と他の二人に先だって紹介されている。
 小説での子規は、幼年時代は腕白なガキ大将秋山真之の、一風変わった遊び友達として描かれる。子規は母方の祖父大原観山の意向もあって、小学校に入っても髷を結っていた。「従順な子だったが、このことを子供心に苦にしていた」(第1巻82p)といい、松山の教員伝習所付属小学校の教員は「升(のぼる、子規の幼名)はなんぼ教えても覚えるけれ、教えるのが楽しみじゃ」といったという(第1巻86p)。さらに漢学の塾にも通い、漢詩に夢中になる子供で、中学3 年の頃には、家には専用の「書斎」までつくってもらい、書物の筆写や新聞づくりに励み、自由民権運動にも関心を示していた(同101〜107p)。
 英語が苦手ながら、世界に夢を馳せ、明治16年中学校5年で中退、母の弟で、すでに外務省に勤務していた叔父加藤恒忠の伝手で上京した。子規は、渡仏した加藤の友人、陸羯南(後に新聞『日本』の社長)に託され、大学予備門を目指す。その子規を追いかけるように、秋山真之は兄の好古を頼って上京、二人は大学予備門に合格。おおいに青春を楽しみながらも、各々進路に悩み始め、子規は文学に目覚め、予備門を中退、真之は海軍兵学校へと転身する。
 明治 22年(1889年)、喀血、結核と診断されるが、かねてより親しんでいた野球や俳句に励み、この頃から「子規」と号するようになる。療養のため一時松山に帰省(第1巻「ほととぎす」)。明治23年には、文科大学哲学科に入学するが、旧藩主久松家による給費生の寄宿舎では、寮生らと文芸、とくに俳句に熱が入り、翌年には国文科に転じ、退寮を余儀なくされ、学年試験にも落第、退学。明治25年には、陸羯南の援助で、郷里から母と妹を迎え、『日本』新聞社員となる。俳話の連載、俳句欄の創設、絵入り家庭新聞「小日本」創廃刊等を経る。
 明治28年(1895年)、前年からの日清戦争では、同僚の従軍などに刺激され、従軍への思いが募り、病身ながら陸に懇願、3月、実現する。松山出身の後輩の弟子である高浜虚子、河東碧悟桐には遺言のような手紙を残し、日本を発つのだが、「子規の従軍は、結局こどものあそびのようなものにおわった」(第2巻「須磨の灯」169p)と評する。というのも、日本を発つ頃、すでに講和談判が始まっていたし、一か月ほどで日本に戻るのだが、その帰りの船上で再び喀血、神戸病院、須磨保養院で療養の後、松山へ帰省、折から松山中学校に赴任中の大学時代からの親友、夏目漱石の下宿に逗留する。この間、地元の仲間と句会を開き、漱石も句作を始める。秋には上京、根岸子規庵で、カリエス発症、進む病状の中、俳論、蕪村論など執筆活動は活発となり、明治30年「ホトトギス」創刊にいたる。
 明治31年(1898年)2月から「歌よみに与ふる書」を『日本』に連載、短歌の実作にも力を入れ、伊藤左千夫、長塚節らも子規庵を訪れるようになる。明治33年、子規に身辺では、すでに熊本の第五高等学校教授となっていた夏目漱石がイギリスへ留学し、秋山真之がアメリカ留学より帰国する(第2巻「子規庵」)。
 病状はさらに悪化、拷問のような苦痛の中、「墨汁一滴」「仰臥漫録」「病牀六尺」と題して書き続けたが、明治35年(1902年)9月19日、35歳で没する(第3巻「十七夜」)。

<ドラマ>
@子規の幼少時代、いつまでも髷を結っていたのを町人の悪童たちに冷やかされ、いじめられるのを助けるのはもっぱら秋山真之であり、妹の律であった。中学校時代、松山で開かれる自由民権運動家たちの演説会、そのチラシを配り、のぼりを立てて、子規らも演説をする。東京の叔父からの手紙で、念願かなって子規は上京、大学予備門の予備校に通い、真之とも合流、英語教師の高橋是清の授業を受け、横浜外国人居留地では日本人の地位などに疑問を持つ出来事にも出会う。(第1回「少年の国」)
A大学予備門の入学試験、学期末試験で、子規が英語で苦労しながらも、勉学の合間には、寄席や娘義太夫を見に、ある時は野球に興じ、無銭旅行に出たりする。子規は、哲学をはじめ、人情本や小説にも夢中になりながら、何を学ぶのかに悩み、俳句に興味を持ち始める。真之と同じ下宿生活をしていたが、真之は進路に疑問を持ち、海軍兵学校に入学、二人は別の道を歩むことになる。(第2回「青雲」)
B子規は無銭旅行中に一度喀血しているが、明治22年喀血、療養のため帰省。江田島から見舞いに来る真之と再会。東京に戻った子規は『日本』に俳論を連載発表。ついに大学予備門を退学、俳句に賭ける覚悟を陸に告げると、陸は『日本』への入社、家族をも呼ぶ便宜を計る。連載は「俳句といういわばふるくさい、明治の知識人からみればとるにたらぬ日本の伝統文芸に近代文学の光をあて」た仕事だったことが強調される(第3回「国家鳴動」)。
C日清開戦後、子規も従軍を希望していたが、明治28年2月に決定。従軍先では、日本軍の現地人への非情な仕打ちを目の当たりにする。宿舎では軍医の森鴎外と会い、文学談義となり、子規の俳句の写実と簡潔さを正岡らしいと励まされる。(第4回「日清開戦」) D従軍からの帰途、再度喀血したが、松山では漱石の下宿に寄宿、療養、小康を得、帰京、真之のアメリカ留学を送り、「君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く」と詠む。子規の天地は、子規庵がすべてで「この小さな庭が全世界なんじゃ。こんな庭でも森羅万象、あらゆるものが学びとれる」と(第5回「留学生」)。

 三人の主人公の一人である子規だが、ドラマの第1部は、いわば主人公たちの「青春物語」の部分なので、松山では時代の変わり目の家族愛や葛藤が描かれ、上京後は、青春群像の中で際立つ子規、真之にライトがあてられる。年の離れた秋山好古は、ドラマの先導役で、「優秀な軍人」へと成長してゆくさまが描かれる。少年時代、中学校時代、学生時代における「時代の空気」や「群像」の描き方は、やはり非常に類型的ではなかったかと思う。城下の街並みや野山を「棒を持って走りまわる」少年たちという、これまでの時代劇の子供像の域を出ないし、学生時代では、大声ではしゃいだり、議論したり、暴れたりといった、ただ騒々しさだけが印象に残る場面が多かった。
 また、子規が展開する文学論について、原作でこそ若干そのハイライトが語られているが、ドラマではほとんど話されないし、会話にも見あたらない。確かに映像化は難しいだろうが、子規が「写実だ」「写生だ」と息せき切って語ることが多く、その核心には触れようとしない。小説では第3巻の序章で子規は没するが、ドラマでは、子規の死が第2部第7話まで持ち越されるらしい。小説では、明治の軍人兄弟の物語に子規の文芸の話をからませて、文化的な香りを醸し出すことに成功しているかもしれない。司馬の子規に対する傾倒、子規をめぐる人々の多様な魅力ある生き方への興味・関心が強いのはよく伝わってくる。司馬自身、次のように語っている。
 「その若い晩年において死期をさとりつつもその残されたみじかい時間のあいだに自分のやるべき仕事の量の多さにだけを苦にし、悲しんだ。客観的にはこれほど不幸な材料を多く背負いこんだ男もすくなかっただろうが、しかしこの男の楽天主義は自分を不幸であるとは思えないようであった。明治というこのオプティミズムの時代にもっとも適合した資質を持っていたのは子規であったかもしれない。」(第8巻「あとがき五」349p)
 この点に関し、関川夏央は「松山藩の文化が同時期に生みおとした秋山兄弟と正岡子規を文武の両面からえがこうとした、それが最初の発想だったと思います」(『「坂の上の雲」と日本人』文藝春秋2009年、16p)「たとえ日露戦争以前に死んでしまうのだとしても物語に欠かせなかったのだと思います」(同上、17p)と述べる。また、文庫本が出た当初より『坂の上の雲』も読み始めていたという友人が「子規が登場する3巻までは、夢中で読んだが、子規没後の物語は急に面白くなくなったので、その先はどうでもよくなった」と話しているのを最近聞いた。
 ドラマの第1部では、まだ子規は存命ながら、その「晩年」に差し掛かっている。とくにドラマでは、後述のように、原作にもない、子規の妹、律の登場場面がだいぶ増やされているのがわかり、不自然に引き延ばされている感もある。子規の従軍先の戦地にあって、原作にない、日本軍曹長(森本レオ)の中国人への態度に怒る場面を挿入して、ジャーナリスト子規の「良心」を少しばかり創出したりする。
 子規が取り組んだ俳句の革新、短歌の変革とはなんであったのか。ドラマはそれを明確にしないまま、ただ、病苦と闘いながらも「写生が大事」と懸命に生きているというメッセージが発信されるばかりで、子規のとらえ方が単調のように思えた。
 たとえば、子規の従軍については、小説、ドラマともにかなり端折っていて、事実をあまり伝えていないように思う。たとえば『日本』に連載の従軍記「陣中日記」、翌年の『日本』の付録週報に連載の「従軍紀事」、未完小説「わが病」、詩歌作品をもう少し丁寧に読めば、上記の挿入場面のような類型的なものではなく、子規の従軍体験にはもっと複雑なメッセージが込められていたように思う。従軍前後の作品に以下があり、「なき人の・・・」は、ドラマの中で、森鴎外に褒められている句でもある
(明治27年)
船沈みてあら波月を砕くかな(海戦)
生きて帰れ露の命と言ひながら(従軍の人を送る)
たヽかひのあとを野山の錦かな(野山の錦)
日の旗や淋しき村の菊の垣(天長節)
(明治28年)
戦ひのあとに少き燕かな(金洲 燕)
君が代は足も腕も接木かな(予備病院 接木)
行かばわれ筆の花散る処まで(従軍の時)
なき人のむくろを隠せ春の草(金洲城外 春草)
なまじひに生き残りたる暑かな(病後 熱)
(明治29年)
匹夫にして神と祭られ雲の峰 (戦死者を弔ふ 雲の峰)

 また、従軍中の軍隊内では新聞記者の待遇について激しく抗議したり、内地の新聞に発表される従軍記について憲兵からの詰問があったりする。しかし、子規に従軍記は、ライバル紙『国民新聞』の徳富蘇峰「旅順占領記」や国木田独歩「愛弟通信」などの声高な愛国的な文章と比べると実に穏やかで、大陸の山河や小動物、村人の営みや日本兵や記者たちの日常を克明に綴る誠実なものであった。ドラマはもちろん小説においても子規が果たした俳句・短歌の革新とは何であったのか、詩歌史上どう位置付けられているか、が意外と触れられていないのではないか。蕪村や万葉集への評価はどうして生まれてきたのか、などについては、私自身も、もう一度読み直し、考えてみたいと思うほどである。
 いま、私が関心を持つのは、子規が終始進めていた「俳句分類」という基礎的な地味な作業と『日本』に連載していた「歌よみに与ふる書」(全10回)一連の歌論である。後者は、「仰せの如く近来和歌は一向に振ひ不申候」、「貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候」、「前略。歌よみ如く馬鹿な、のんきなものは、またと無之候」、「拝啓。空論ばかりにて傍人に解しがたく、実例につきて評せよとの御言葉御尤と在候」(1〜4回)と毎回こんな風に書き起こし、「小さき事を大きくいふ嘘が和歌腐敗の一大原因と相見え申候」、「ただありのままを写生すると、一部一部の写生を集めるとの相違に有之、生の写実も同様の事に候。これらは大誤解に候」、「漢語にても洋語にても文学的に用ゐられなばみな歌の詞と可申候」(5〜7回)のように語りおさめられる明快さで当時の名流大家を鋭く批判する。連載中の読者からの反論や批判にもすぐに応え、その姿勢と熱意には目を見張るものがある。明治31年といえば病状もかなり進んでいたにもかかわらず、である。小説・ドラマで描かれる子規像と作品や著作から立ち上がる子規像との乖離が大きい。ちょっと句集を開いてみても、俳句や病にちなんだものだけ選んでみても次のような作品に出会えるはずである。
(明治29年)
歌書俳書紛然として昼寝かな(昼寝)
夜を寒み俳書の山の中に坐す (夜寒)
枕にす俳句分類の秋の集 (秋時候雑)
野分の夜書読む心定まらず(野分)
吾に爵位なし月中の桂手折るべく(月)
(明治30年)
書を干すや昔わが張りし不審紙(有所思)
三千の俳句を閲し柿二つ(ある日夜にかけて俳句函の底を叩きて 木)
(明治31年)
我病んで花の発句もなかりけり(木)
紅葉山の文庫保ちし人は誰(木 観月会)
小説を草して独り春を待つ(冬 病中小照自題)
芭蕉忌や我に派もなく傳もなし(病中有感)
(明治32年)
門松やわがほととぎす発行所 (新年)
(明治33年)新年の白紙綴じたる句帖かな(新年)
和歌に痩せ俳句に痩せぬ夏男(水滸伝の内 夏)
書きなれて書きよき筆や冬籠(人事 冬)
筆洗の水こぼしけり水仙花(草 冬)
(明治34年)
何も書かぬ赤短冊や春浅し(時候 春)
病人の息たへたへに秋の蚊帳(人事 秋)
(明治35年)
画き終へて昼寝も出来ぬ疲れかな(自画菓物帖の後に)
首あげて折々みるや庭の萩(臥病十年 草)
をととひのへちまの水も取らざりき(絶筆三句)

(続く)
『坂の上の雲』を見ました(5)幾つかの疑問〜小説とドラマと〜正岡律の実像をもとめて
『坂の上の雲』を見ました(6・完)幾つかの疑問〜小説とドラマと〜「坂の上の雲」の女たち

過去を清算し平和 の未来へ1.31 集会「韓国強制併合100年」

[CML 002519] 【強制併合100年】過去を清算し平和 の未来へ1.31集会 Kameda 1926723 at jcom.home.ne.jp 1926723 at jcom.home.ne.jp 2009年 12月 30日 (水) 19:16:24 JST 前の記事 [CML 002518] 朝鮮初級学校による公園使用 次の記事 [CML 002520] 御礼:長岩 均 記事の並び順: [ 日付 ] [ スレッド ] [ 件名 ] [ 著者 ]
-- ちょうど一ヶ月後になりました。みなさんの参加をお待ちしています。
過去を清算し平和 の未来へ1.31集会 ──「韓国強制併合100年」共同行動日本実行委員会結成の集い──
2010年1月31日(日)午後3時30分[直前まで他の企画で入れません]〜7時30分
会場 早稲田奉仕園スコットホール 新宿区西早稲田2-3-1 最寄り地下鉄・西早稲田駅、早稲田駅
プログラム オープニング(プンムル・朝鮮半島の民俗芸能のひとつ)
あいさつ 呼びかけ人代表
第一部 記念講演と提起 一、記念講演 「『韓国強制併合』100年−日韓、東アジアの平和な未来を切り開くために」  講師 李 錫兌<イ・ソクテ>さん(弁護士,フォーラム「真実と正義」共同代表)  一、課題提起 清算されない植民地主義         
「慰安婦」、強制動員、歴史認識、「在日」、靖国合祀等 第二部 2010年8月22日「日韓市民共同宣言大会」開催に向けて 一、行動計画の提起 一、実行委員会体制の確認
当日資料代500円 連絡・問合せ先団体 「韓国併合」100年市民ネットワーク・関東事務局  電話・E-メール  070-5015-1250   1926723 at jcom.home.ne.jp 賛同金1口千円 振込用紙の記入欄に「実行委員会賛同金、名前、住所、電話等連絡先」を必ず明記 当面の口座番号: 00210−0−108315 加入者名:「韓国併合」100年市民ネットワーク関東 なお午後2時より3時20分まで同じ敷地内「日本キリスト教会館」6階会議室にて「韓国併合」100年市民ネットワーク・関東の主催により【「韓国併合」100年写真展】を開催します。長机への置き展示。<韓国独立記念館、韓国民族問題研究所、在日韓人歴史資料館他個人の提供による百枚あまりの貴重な写真・画像A3判、キャプション付>
「韓国強制併合100年」共同行動日本実行委員会結成 過去を清算し平和の未来へ 1.31集会 呼びかけ
2010年は、戦後65年目の年。同時に「韓国強制併合100年」でもあります。この国にとって大きな 節目の年になるものと推測されます。おりしもNHKは、司馬遼太郎原作『坂の上の雲』をドラマ化、 11月末から放映を開始しました。3年にわたって放映されます。ドラマが今後どのような展開を見せ るかは不明です。しかし、司馬がこの小説で「日露戦争までの日本はよかった」という「明治栄光論」 を唱えたことはつとに知られています。他方、司馬は日本の朝鮮支配がどのように進行したかについて は具体的なことは何も論述せず、「日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない」と 植民地化を正当化しています。このようなドラマが、2010年という年をはさんでNHKで放映される ことの影響の大きさを憂慮せざるをえません。
 一方、鳩山政権は「東アジア共同体構築」を外交の柱に据えています。そして、鳩山首相は、11月に シンガポールで開催されたAPECで、「この地域では、ほかならぬ日本が、多くの国々、とりわけアジア 諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた後、60年以上がたった今もなお、真の和解が達成されたとは必ずしも考えられていない」と演説しました。  この演説を素直に読むならば、新政権は「アジア諸国の人々」との間に「真の和解」を達成していくことを自らの課題としていくかのように見えます。しかし、新政権の方向性は定まってはいません。  そうであるならば民衆の側から植民地支配、侵略戦争の過去に今一度向き合い、それを克服していく道筋を開いていくことが問われています。 日本と韓国との間で植民地主義の清算は終わっていません。「植民地化合法」論や“慈悲深い植民地経営”論などが今も横行し、軍隊「慰安婦」、強制連行、ヤスクニ合祀などの問題は未解決のままです。日本と朝鮮民主主義人民共和国との間には国交関係さえありません。このような状況を放置したままで「韓国強制併合100年」を迎えるならば、「未来志向の関係」も「東アジア共同体の構築」も何ら内実を伴わない空疎なものとなることは必定です。  今こそ植民地主義の清算と東アジアの平和の未来を構築していくために日本と韓国、東アジアの民衆が手を携えて共同していくときです。
すでに韓国でも64団体がひとつにまとまって日本の市民団体と共同で、2010年8月、日韓の市民を中心に過去を清算し平和の未来を切り開いていくことを宣言する「日韓市民共同宣言大会」を開催することを計画しています。このような動きを受けて、私たちは、日韓市民が共同行動を推進していくいために「『韓国強制併合100年』共同行動日本実行委員会」を1月31日に結成することといたしました。  多くの皆さんが私たちの運動の趣旨に賛同され、1月31日の集いに参加されるようお願い申し上げます。 2009年12月
  呼びかけ人 青柳純一、梓澤和幸、荒井信一、石井寛、伊藤成彦、李洋秀、内田雅敏、内海愛子、尾澤邦子、岡田卓巳、加藤正姫、鎌田慧、亀田博、姜徳相、金賛汀、古庄正、東海林勤、鈴木裕子、宋富子、高田健、田代美江子、田中正敬、崔善愛、筑紫建彦、寺尾光身、土松克典、中川美由紀、中原道子、中山武敏、野平晋作、樋口雄一、飛田雄一、福留範昭、布施哲也、前田憲二、増田都子、松尾章一、水田洋、光延一郎、持橋多聞、森正孝、安川寿之輔、矢野秀喜、山田昭次、渡辺一夫、渡辺健樹

寺島実郎が語る歴史観-『坂の上の雲』...

オンザウェイ・ジャーナル 月刊 寺島実郎の世界http://www2.jfn.co.jp/blog/terashima/2009/12/41.html
第41回木村>  先週の放送ではPHP研究所から出版されたばかりの寺島さんの新刊『世界を知る力』をめぐって、世界に対して我々がどのように向き合うべきなのかという事を具体的な例を踏まえながらお話を伺いました。リスナーの多くの方々も世界の見方について随分刺激され、触発されたと思います。2009年11月29日 09:00
        <寺島実郎が語る歴史観?『坂の上の雲』>
 今回は「寺島実郎が語る歴史観」で、テーマは「坂の上の雲」という事でお送りします。現在、同じタイトルでNHKのドラマが放送されているところですが、司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』も書店には山のように積まれていて、関連の書物だらけです。司馬さんの歴史観に対しては色々な意見がありますが、さて、寺島さんはいったい『坂の上の雲』にどのような眼差しをもっていらっしゃるのかという事に、まず、第一の興味と関心があります。

寺島>  私は以前、PHP研究所の新書で『われら戦後世代の坂の上の雲』という本まで出しています。国家の目的と自分が所属している組織、秋山真之にとっては海軍だったのですが、更に、個人の人生の目標が連なっているように何の矛盾もなく連なっていた明治という時代の思いと、いま我々が生きている時代において個人が個人に向き合って国家のテーマや自分のテーマに帰属している組織のテーマ等さえもずれ始めている時代の目的意識のとりかたの難しさを悩みながら考えた事があります。 いずれにしても我々は明治という時代をもう一度キチンと認識し直す事が凄く重要です。NHKは3年にわたって年5回ずつドラマをつくっていくそうなのですが、本木雅弘さんが秋山真之で阿部寛が真之の兄役の好古を演じています。私は大変に興味深くこのドラマがどうなっていくのか注目しながら観ていきたいと思っています。 私の秋山真之に対する関心は必ずしも司馬遼太郎の作品『坂の上の雲』の影響ではありません。島田謹二の著書に『アメリカにおける秋山真之』という有名な名著があって、それによって私は秋山真之という存在に非常に関心をもっていたのです。例えば、秋山真之は日露戦争の日本海海戦の天才参謀と呼ばれて、あの時に「天気晴朗なれども波高し」という電信を日本の艦隊全部に発信しました。軍人が書いた文章として、「本日天気晴朗なれども波高し。皇国の荒廃はこの一戦にあり、各員憤励努力せよ」という文章が浮かんだという事に私は非常に驚きました。つまり、軍人が指令を出す文章としてあまりにも美しい文章なのです。司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の衝撃は何なのかというと、秋山という軍人になった人が少年だった四国松山の時代から、正岡子規と大変な親交を深めていたという事実があったということです。更に、正岡子規と一緒になって大学予備門から東京に上京してきて、生活をして正岡子規の影響を受け、文章や文化的教養等に対して物凄い人が軍人として生きた時代なのだという事も衝撃を受けました。お兄さんの好古の存在、こちらは陸軍のロシアのコザックと戦った日本の軍を率いた責任者だったのです。
木村>  フランスでその当時ではもしかしたら傍流かもしれないというところへ行って騎兵について学んだのですね。
寺島>  司馬遼太郎さんの長い、長い『坂の上の雲』の小説のラストシーンとして、好古が死ぬ瞬間が描かれているのですが、それに私は本当にしびれました。彼は死ぬ間際、歳をとって四国に帰って先生をやっていた好古が死ぬ間際に「奉天へ」と叫んで死んでいったのです。この「奉天へ」の意味は何かと言うと、好古がロシアのコザックと戦い合った中国の地名の「奉天」なのです。自分の若い時代の事が一時も頭から離れなかったのだという事なのです。つまり、それくらいの思いを込めて日本国の運命を背負っていたのだという事で、一番心に沁みるシーンの一つとして死ぬ瞬間に「奉天へ」と叫んで死んでいった男がいたという衝撃があったのです。これには私はとても驚きました。 そして、真之についてですが、私は変な縁があって引きずっているのですが、ワシントンにいた頃に秋山真之について調べていたことがあります。秋山真之は、ワシントンに駐在武官としていたのです。その時に、マハン大佐というアメリカの海軍戦略論においては名だたる人がいて、1892年に「海上権力史論」という日本でも訳された本を出した有名な海軍戦略の大家といわれている人を秋山真之はわざわざニューヨークまで訪ねて行ったりしていて、とにかく必死になってアメリカの東海岸において勉強していた秋山真之を私自身が興味をもって追いかけていたのです。それは何故かというと、私は商社の人間として情報の仕事をしていた立場だったのですが、彼は海外戦略の情報というところで生きてきた人で、彼が明治の時代を生きた生きざまは全く時代は違うけれども、組織における情報の責任を担わされてワシントンに配置されていた私の心に共鳴するところがあってとても興味をもっていたわけです。私が勤務していた三井物産のワシントンのオフィスはホワイトハウスの斜め前にありました。「1701ペンシルヴァニア・アベニュー」といって、ワシントンで名刺を出すと「1600ペンシルヴァニア・アベニュー」がホワイトハウスで誰もが知っている事なので、「えっ? あなたはホワイトハウスの隣にオフィスを持っているのですか?」と驚いた反応がワシントニアンほど返ってくるような場所に私は毎日いたのです。私のオフィスのビルの斜め前に「オールド・エグゼクティブ・ビルディング」という重厚なビルがホワイトハウスの横にあって、これは昔、海軍省だったのです。その海軍省のビルの3階に海軍文庫というものがあったのだそうです。そして、秋山真之が古今東西の海軍戦略、戦術に関する本を毎日のように通いつめて勉強していた場所がその海軍文庫だったのです。私が夜、残業で遅くなってクルッと椅子をひっくり返してライトアップされている「オールド・エグゼクティブ・ビルディング」を眺めながら、あの3階のあのコーナーに海軍文庫があって、あそこに秋山真之が100年前に通いつめていたのだなあという思いがいつもあったのです。秋山真之が言い残している驚くべき言葉があって、現代人からすると非常に違和感のある言葉に聞こえるかもしれませんが、秋山真之は、「自分が1日怠ければ日本が1日遅れる」と言っているのです。もし、私がいま同じ言葉を言ったのであれば、「この人は誇大妄想ではないのか?」と思われるくらいみんなが驚くと思います。その後、秋山真之は翌年の1898年に米西戦争、つまり、アメリカとスペインとの戦争が起こった際、キューバに対するアメリカの攻撃を観戦武官としてアメリカの戦艦に乗ってずっと目撃していました。この事が日本海海戦において彼のバルチック艦隊を迎え撃つ閃きとして物凄く意味があったのです。しかも、その後、勝利を収めたアメリカが今後、カリブ海を支配していくぞと言わんばかりに展開をして各地を訪れました。秋山真之は、その船に同乗して半年間一緒に生活をしています。例えば、最初にベネズエラを訪れた日本人は誰かを調べてみると秋山真之なのです。つまり、秋山真之の体験はどのような事かというと、物凄い集中力によって古今東西の海外戦略論を読み込んだ文献研究とフィールドワークのように現場を自分の目で見て体験した報告書を頭に叩き込んだ事が日本の運命を変えたと言ってもよいくらいの大きな意味をもってしまったという事です。したがって、一人の人間が歴史に果たす役割は限られているけれども、明治という時代の「坂の上の雲」という事を何故、司馬遼太郎さんが書かねばならないと思ったかという話なのですが、まさに、「自分が1日怠ければ日本が1日遅れる」という思いを込めて、研鑽に励み文献を読んだ人物を描く必要があったからだと思います。ここで笑える話が1つあるのですが、当時、日本大使館の駐在武官で現在の大使にあたる公使がいて、有名な星亨でした。彼は物凄い文献を集めたり、書物を買う事が好きな人で自分のライブラリーをつくっていたらしいのです。しかし、秋山真之が黙って本を持っていって読んでしまうために、係の人が「黙って本を持ち出さないでくれ」と注意をしたのです。そして、彼は「星公使が忙しすぎて、とても本をお読みになれないだろうから代わりに読んであげているのです」と言ったらしいのです。つまり、それくらいのある種のずうずうしさも含めて、彼が読み込んだ文献と体験が日本を変えたという事です。私はそのような時代だったという事が明治時代を理解する上にとっては非常に意味があると思います。それを我々にまたひきつけて考えた時に、どのように見えるのかという事が私の思いなのです。
木村>  先週、寺島さんにお話を伺った『世界を知る力』の本の中においても、この事が触れられていますが、つまり、「知」というものと、それに立ち向かう時の覚悟と志というものに非常に深く関わる秋山真之のエピソードもあれば、彼がドラマの中、或いは小説の中では「どのようにすれば喧嘩に勝てるのか考えているのだ」という「考える」部分においての深い思考について寺島さんのお話から随分触発されるところがあります。 後半では、もう少し司馬遼太郎さんの歴史観に触れてお話を伺いたいと思います。<後半>
木村>  あらためて、いま、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』がこのように社会に注目されているという事について寺島さんはどのように捉えていらっしゃるのでしょうか。
寺島>  司馬さんの歴史観は、明治時代の日本はある意味においては成功モデルだったのですが、昭和という時代に入って歪み、増長し、転がり落ちるようにして無謀な戦争に駆り立てられて、日本を敗戦という形で一旦は破滅させてしまったという事に対する深い、深い反省という思いがその底辺にありました。極端に明治という時代や幕末維新時代等に光を当てて、結局、「昭和史は失敗の歴史」であり、「明治史は成功の歴史」であったという事で司馬史観というものには少し歪みがあると批判をする人がいるくらいなのですが、それでも戦後の日本人の教育を思い出していただくと我々が日本近代史を理解した理由は極端に言うと、司馬さんの本によって触発されて目を開いていったという部分もあるという事です。それは何故かと言うと、戦後の日本において、社会科の教育、特に歴史教育は縄文や弥生時代から始まって、大概は江戸時代くらいで息切れをして、先生は近代史をほとんど語らなかったからです。更に言うと、時間がないからという理由だけではなくて、語れなかったのです。近代史の評価があまりにも難しすぎたからとも言えます。日本近代史は二重構造になっていて自分自身が西欧列強の圧力の中で追い詰められて、植民地にされてしまうかもしれないという不安感の中で開国、明治維新を迎えました。今度は殖産興業だ、富国強兵だという形によって力をつけてくると、自分自身が新手の植民地帝国へと変わっていき、アジアに対して、親しむアジアの親亜から、侵すアジアの侵亜へと反転していくという二重構造を持っているのです。したがって、日本近代の評価は物凄く難しいという事になるわけです。そのような中で、彗星のごとく東洋の小国を上昇させた明治の人たちがどのような日本をつくりたかったのか、また、どのような思いで国づくりに関わっていたのかという事をできるだけ目を開いて知るという事は凄く意味があります。私は秋山真之を調べていて、凄く面白い彼の言葉に出くわしました。彼はワシントンに駐在の後、日露戦争を戦う旗艦となった船のほとんどはイギリスが建造していて、その建造した戦艦を引き取る、或いは、それをチェックするためにイギリスに半年間くらい駐在していました。その時に、パリにも行っていて、1900年5月12日に彼はエッフェル塔に上っています。その後に、軍人たちがエッフェル塔にまず度肝を抜かれて、海外に来て日本の貧しさを語りました。欧州の国々に比べて日本はいかに資源がなくて、大工業国になるといっても大変であろうと。しかも、日清戦争には勝ったけれどもロシアとの戦い等が目の前に迫っているという状況下において、軍人たちがいまおかれている状況で、はたして戦争ができるのだろうか? というくらいの話だったのです。その時に、秋山真之が語っている言葉があって、それは島田謹二さんの秋山真之研究の中で書き残している言葉にも出てきますが、日本のインテリのあり方に通じて、「わしたち日本人のインテリは、どいつもこいつもみんな狭い意味の小専門家なのだ。海軍の仕事をしている奴は海軍だけで他の事は顧みない。海軍以外の事は何も知らない。日本人の持つ特徴はつき合っていれば西洋人にはすぐわかるのだ」と言っています。これは何かと言うと、先日から議論している「全体知」の事なのです。先程、秋山が「天気晴朗なれども波高し」という文章を書いたと申し上げましたが、天才参謀と呼ばれた軍人としての能力が優れていたというだけではなくて、人間としての全体観と言いますか、そのような人が日本の運命を担って、その瞬間に立ったというわけです。したがって、私は明治を支えた人たちの教養の深さに驚嘆しますし、正岡子規のような友人と心から共鳴し合える軍人がいたという事実のほうが日本の力という事を語る上において非常に重要なのだと思います。私は彼がエッフェル塔に上ってこのような言葉を言い残している事は凄い事なのだと思っています。
木村>  物事を本当に深く突き詰めるという事は、日本の言葉では「突き詰める」と言うと何か狭くなっていくようなイメージをしてしまいがちですが、実は、突き詰めるとそこには広い世界が広がるという意味になると思います。そのような意味において寺島さんのおっしゃる「全体知」に、随分考えさせられながらお話を伺いました。..

福沢諭吉 脱亜論 現代語訳

※ 世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸(ぜん)し、至る処、草も木もこの風に靡(なび)かざるはなし。
 「(近年)世界(諸国が)交通する手段が便利になり、西洋文明の流儀がだんだん(西洋から)東に進んできて、いたるところ、草も木もこの流儀になびかないものはなくなりました」
※ 蓋し西洋の人物、古今に大いに異なるに非ずと雖(いえ)ども、その挙動の古に遅鈍にして今に活発なるは、唯交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。
 「結局のところ、西洋の人々は昔も今もそんなに異なることはないと言えるのですが、その(西洋人の)行動が、昔は遅鈍だったのに現在は活発になったのは、単に交通に用いる便利な器具を利用して、その勢いに乗っただけだと言えます」
※ 故に方今(ほうこん)東洋に国するものの為に謀るに、この文明東漸の勢に激して之を防ぎ了(おわ)るべき覚悟あれば則ち可なりと雖も、苟(いやしく)も世界中の現状を視察して事実に不可なるを知らん者は、世〈と〉推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を〈揚〉げて共に文明の苦楽を与(とも)にするの外あるべからざるなり。
 「ですから、現在東洋に国としてあるもののために考えますと、この文明が西洋から東洋に進んでくる勢いに対抗して、これ(西洋の進出)をみごと防ぎ終える覚悟があるのならばいいのですが、いやしくも世界中の現状を視察してみますと事実上そんなこと(西洋の侵出を防ぐこと)は不可能だと知ることができます。その事情を知る者は、世界と一緒に推移し、(西洋近代の世界と)共に浮き沈みし、共に文明の波に乗り、共に文明の苦楽を共有する他に道はありません」
※ 文明は猶(なお)麻疹(はしか)の流行の如し。
 「文明が流行するありさまは、まるではしかが流行するのと似ています」
※ 目下東京の麻疹は西国長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延(まんえん)する者の如し。
 「目下のところ東京の(文明流行としての)はしかは、日本西部の長崎の地からだんだん東に進んできて、春の暖かさと共に次第に(病気としての)はしかが蔓延するのと同様のありさまです」
※ この時に当りこの流行病の害を悪(にくみ)て之を防がんとするも、果してその手段あるべきや。
 「こういう時にあたり、たとえ、この(はしかという)流行病の害をにくんで、これを防ごうとしたとしても、はたしてそんな手段はあるでしょうか」
※ 我輩断じてその術なきを証す。 「私は、断じてそんな手段はないと断言できます」
※ 有害一偏の流行病にても尚且(なおかつ)その勢いには激すべからず。 
「単に有害であるだけの流行病にしても、なおその流行の勢いには対抗できません」
※ 況(いわん)や利害相伴うて常に利益多い文明に於(おい)ておや。 
「まして、利害が相伴っていて、しかも常に利益のほうが多い文明について、その流行に抵抗できるわけがありません」
※ 啻(ただ)に之を防がざるのみならず、力(つと)めてその蔓延(まんえん)を助け、国民をして早くその気風に浴せしむるは智者のことなるべし。 
「(ですから)単に、この文明の流行を妨げないというだけではなくて、むしろ積極的に、(文明の)蔓延を助け、日本国民をして文明の恩恵に浴することができるように努力することが智者たるものの務めだと言うべきです」
※ 西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開国を発端として、国民漸(ようや)くその採(と)るべきを知り、漸次に活発の気風を催うしたれども、進歩の道に横わるに古風老大の政府なるものありて、之を如何(いかん)ともすべからず。 
「西洋の近代的な文明が、我日本に入ってきたのは嘉永の開国が発端でした。その後、国民はだんだんその西洋文明を採用すべきであることを知り、次第に文明を活かし、開発する気風を養ってきましたが、進歩の道に横たわっているものに、古風に老いて、いたずらに大きな政府(江戸幕府)というものがあって、これをどうすることもできませんでした。
※ 政府を保存せんか、文明は決して入るべからず。 
「政府(江戸幕府)を保存しようとしたら、文明は決して入ってきません」
※ 如何(いかん)となれば近時の文明は日本の旧套(きゅうとう)と両立すべからずして、旧套を脱すれば同時に政府も亦廃滅すべければなり。
 「なぜならば、近代的な西洋文明というものは日本の古臭い慣習と決して両立できませんし、その古臭い慣習から脱出したとすれば同時に(古臭い体質の)政府(江戸幕府)も慣習と同時に壊滅するはずだからです」
※ 然(しから)ば則ち文明を防てその進入を止めんか、日本国は独立すべからず。 
「では、(幕府を保存するために)文明の道をさえぎってその侵入を止めようとしたとしましょう。日本は独立することが不可能になります」※ 如何(いかん)となれば世界文明の喧嘩繁劇(はんげき)は東洋孤島の独睡を許さざればなり。
 「なぜならば、世界文明が世の中にもたらしている騒乱が非常に激しいありさまは、東洋の孤島である日本が一人まどろんでいることを許さないからです」
※ 是(ここ)に於てか我日本の士人は国を重しとし政府を軽しとするの大儀に基き、又幸に帝室の神聖尊厳に依頼して、断じて旧政府を倒して新政府を立て、国中〈朝野〉の〈別〉なく一切万事、西洋〈近時〉の文明を採り、独(ひと)り日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜(アジア)全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所は唯(ただ)脱亜の二字に在るのみ。 
「ここにおいて、我が日本の有識者たちは、国(日本国)の存続を重んじ、政府(江戸幕府)の存続を軽いものと見なす大儀に基づくことを決心しました。さらに、ありがたいことに皇室の神聖尊厳に頼ることもできたので、断じて旧政府(江戸幕府)を倒して明治新政府を立てることとし、国中、政府も民衆も分け隔てなく一切万事、西洋近代の文明を採用することと決意し、日本の古臭い慣習から脱出しましたが、それだけではすみません。亜細亜全州の中にあって、新しく一機軸を出すべきで、その機軸の主義とすべきところは、ただ脱亜という二文字にあるだけです」
※ 我日本の国土は亜細亜の東辺に在りと雖(いえ)ども、その国民の精神は既に亜細亜の固陋(ころう)を脱して西洋の文明に移りたり。
 「私たちの日本の国は、アジアの東の端にあるのですが、そうは言っても、その国民の精神は亜細亜の頑迷固陋な気風を脱し、西洋文明の気風に移っています」
※ 然(しか)るに爰(ここ)に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。 
「ところが、この日本にとって不幸なことには、近隣に国があります。一つを支那=中国といい、もう一つを朝鮮といいます」
※ この二国の人民も古来、亜細亜流の政教風俗に養わるること、我日本国民に異ならずと雖ども、その人種の由来を殊(こと)にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺伝教育の旨に同じからざる所のものあるか、日支韓三国相対し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、この二国の者共は一身に就(つ)き又一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども、耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず、この文明日新の活劇場に教育のことを論ずれば儒教主義と云い、学校の教育は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、尚傲然(ごうぜん)として自省の念なき者の如(ごと)し。
 「この(中国・朝鮮)二国の人民も、昔から亜細亜流の政治、教育、風俗に養われてきたことは、我が日本の国民と異なるところはありません。そうは言っても、その人種の由来を異にするせいでしょうか、もしくは同じような政治、教育、風俗の中にいながらも、遺伝・教育の本質とするところが同じでないところがあるせいでしょうか、日本・支那・韓国の三国を相対照させて見ますと、支那と韓国が互いによく似ているありさまは、支那と韓国を日本と比べた場合におけるよりも近いといえます。 この二国の人民たちは、自分個人のことについても、また自分たちの国のことに関しても改進の道を知らずにいます。この交通が大変に便利になった世の中ですから、文明が生み出した事物を見聞きすることがないのではないですけれども、耳や目で聞いたり見たりしただけのことでは彼らの心を動かすには足らなかったようです。彼らが、古臭い風俗や昔からの習慣に恋ででもあるかのように執着する情は、百年、千年の昔に異なりません。 この文明が、日々進歩して新たになっていく、活劇場のように活発な世の中で、教育のことを論じるときは儒教主義などと古臭いことを言い、学校の教育でも、仁義礼知などと古いことを言って、一から十にいたるまで外見を虚しく飾り立てることばかりをこととしています。そのくせ、その実際やっているところを見てみますと、真理原則の知識、見識がないだけではありません。最低限の道徳でさえ、地を払ってしまったようになくなっていて、(刑罰などは)残酷で、やることなすこと恥知らずを極め、誠実でありません。その上、傲然としてうぬぼれていて、自省、反省、などという気持ちはまったくない者のように思えます」※ 我輩を以てこの二国を視れば、今の文明東漸の風潮に際し、迚(とて)もその独立を維持するの道あるべからず。
 「私の目からこの二国の様子を見ますと、現在の西洋文明が東に進んでくる風潮の中で、とてもではありませんが、この支那・朝鮮の二国が独立を維持する道などありえません」
※ 幸にしてその国中に志士の出現して、先(ま)ず国事改進の手始めとして、大にその政府を改革すること我維新の如き大挙を企て、先ず政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若(も)しも然(しか)らざるに於ては、今より数年を出でずして亡国と為り、その国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑あるなし。
 「もしも幸いにして、その支那、朝鮮の国内に志士が出現して、とにもかくにも国の事業を改革し、進歩させる手始めとして、徹底的にその政府を改革することの、日本の明治維新のような大挙を計画し、その計画によってまず政治を改革して、さらにそれと共に人心を一新するような活動が、(支那、朝鮮において)あればまた話は別でしょう。 けれども、もしそういう(明治維新のような思い切った改革が)できなかった場合においては、これから数年以上は待つことなく、(支那、朝鮮の二国は)亡国となり、その国土は世界の文明諸国が分割してしまうだろうことに、一点の疑いも持ちようがありません」
※ 如何(いかん)となれば麻疹(はしか)に等しき文明開化の流行に遭いながら、支韓両国はその伝染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒息するものなればなり。
 「なぜならば、はしかに等しい文明開化の流行に出会いながら、支那、朝鮮の二国は、その文明というものが必ず周囲に伝染していくものである、という天然の摂理に背いて、無理に文明の伝染を避けようとして、一つの部屋のような国内に閉じこもり、文明という空気の流通を絶って、自ら窒息しているようなものだからです」
※ 輔車唇歯(ほしゃしんし)とは隣国相助くるの喩(たとえ)なれども、今の支那、朝鮮は我日本国のために一亳(いちごう)の援助と為らざるのみならず、西洋文明人の眼を以ってすれば、三国の地利相接するが為に、時に或は之を同一視し、支韓を評するの価を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。 
「◎輔車唇歯(頬骨と歯茎、唇と歯)というのは、隣国が共に相助けることの喩えですけれども、現在の支那、朝鮮は、私たちの日本のために一亳の助けともなりません。そればかりではなく、西洋人の目をもってすれば、日本、支那、朝鮮の三国は地理的にも相接しているために、場合によってはこの三国を同一視し、支那、朝鮮を評価する価値を持って、私たちの日本をも評価する場合がないとも限りません」
※ 例えば支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃(たの)むべきものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の国かと疑い、支那、朝鮮の士人が惑溺深くして科学の何ものたるを知らざれば、西洋の学者は日本も亦陰陽五行の国かと思い、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩(おお)われ、朝鮮国に人を刑するの惨酷(さんこく)なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるるが如き、是等の事例を計(かぞう)れば枚挙に遑(いとま)あらず。 
「例えば、支那、朝鮮の政府は古風な専制政治を行っていて、法律の頼るべきものがありません。そのため、西洋の人は日本も支那、朝鮮と同様に無法律の国かと疑ってしまいます。支那、朝鮮の人士が陰陽五行などの迷信に惑わされ、溺れる度合いが深くて、科学というものがどういうものか知らないので、西洋の学者は日本も同様に陰陽五行の迷信に惑わされた国かと思ってしまいます。 支那人が卑屈で恥を知らないため、日本人の義侠心に富んだ態度も、この品人の卑屈で恥知らずな態度に覆い隠されてしまいます。朝鮮国では、人に刑罰を与える際に非常に残酷な刑を行いますが、(それを見た西洋人は)日本人もまた同じように無情な生き物なのだろうかと推し量られてしまいます。このような事例を数え上げれば、多すぎて枚挙にいとまがありません」
※ 之を喩えばこの隣軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然(し)かも残忍無情なるときは、稀にその町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜に掩われて堙没(いんぼつ)するものに異ならず。
 「これを喩えてみますと、私たちの隣で軒を並べているこの一村、一町内の者共(支那・朝鮮)が、愚かで無法で、おまけに残忍非情だった場合には、ごく稀にその町村内の一家族の人々が、正当な人としての振る舞いに注意していたとしても、他の連中の醜さに覆われてしまって、(そのいい行いが)埋没してしまう場合に異なりません」
※ その影響の事実に現れて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云うべし。 
「そうした(支那と朝鮮が野蛮なので、それと同一視されてしまう)影響が、現実上に現れてしまって、間接的に日本の外交上に支障をきたすことは、実際のところ少々のことではありません。我が日本国の一大不幸というべきです」
※ 左(さ)れば今日の謀を為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。
 「そうした事情ですから、今日の日本のために政策を立ててみますと、我が国は支那、朝鮮という隣国の開明を持って、共にアジアを興隆させよう、などと悠長なことを言っている猶予はありません。むしろ、そうした東アジアの隊伍から脱して、西洋の文明国と行動を共にし、そんな情けない支那、朝鮮に接する態度も、隣国だから、といって特別に情けをかけたりする必要もありません。まさしく、西洋人がこの二国に接する態度に従ってこの二国を処分すべきです」
※ 悪友を親しむ者は共に悪名を免るべからず。
 「悪友と親しくする者は、その悪友と共に悪名を被ることを避けることはできません」
※ 我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
 「私は、心において、アジアの東にある支那、朝鮮という悪友を謝絶する決意です」 ....

「検証『坂の上の雲』」ブックレットが愛媛新聞で紹介されました。

2010年1月20日愛媛新聞7面
「日清戦争は侵略」史料から「坂雲」検証今治の高井さん 冊子を発行
 NHKがドラマ化し2009年11月に放送を始めた故司馬遼太郎
さんの小説「坂の上の雲」をめぐり、その歴史認識を問題視している
「えひめ教科書裁判を支える会」メンバーで今治市の古書店経営高井
弘之さん(54)が、関係史料などを基に小説を論評した冊子「検証
『坂の上の雲』」(A4版、115ページ)をこのほど発行した。
 高井さんによると、司馬さんは同小説で明治期の日本について▽日
清戦争で清国や朝鮮を領有しようとしたのでなく多分に受け身だった
▽日露戦争は追い詰められた末の防衛戦▽朝鮮半島の植民地化は、帝
国主義に仲間入りするか他国の植民地にされるかの二者択一でやむを
得なかった−などとしている。
 これらの記述に対し、高井さんは当時の外相、外交官、軍人の記録
などから「間違い」と指摘。日清戦争について、清国と開戦して朝鮮
半島を支配するシナリオを書いた外務次官の回顧録や、陸奥宗光外相
から開戦の口実作りを指示されたと記した在ソウル日本公使館書記官
の著書などを根拠に「侵略戦争だったのは明白」と結論付けている。
 陸奥外相の外交記録研究で知られる中塚明・奈良女子大名誉教授(
日本近代史)は「冊子の典拠は妥当で、今回の検証は貴重」と評価。
高井さんは「この小説は事実を曲げて明治日本を賛美している。司馬
ファンも含め、さらに検証してほしい」と話している。
 一方、司馬遼太郎記念財団(大阪府東大阪市)は「作家と違う考え
方は発表当時からあり、それぞれの考えにはコメントできない」とし
ている。
 冊子は2千部印刷し、1部500円で県内主要書店などで販売して
いる。問い合わせは高井さん=電話0898(23)5808。
【写真】小説「坂の上の雲」の歴史解釈を検証した冊子
ここからは、注文方法を以前発信したメールから貼り付けます。
ブックレット「検証『坂の上の雲』――そのあまりにも独善的・自国
中心主義的なるもの――』、は昨年12月7日に1000部できあが
りましたが、既に昨年末には売り切れ、さらに1000部増刷しまし
た。友人・知人にもよろしければお知らせください。(えひめ教科書
裁判を支える会)
<問い合せ先>TEL・FAX/0898-23-5808(おもしろ共和国気付 高井)
<注文先>
@ TEL・FAX/089-977-9175(藤原)
A 090-7572-9175(藤原携帯)
Bメールアドレス/zxvt29@dokidoki.ne.jp(奥村)
<価格/@ 500円+送料(実費)>
※ 但し、20冊以上まとめて御注文いただいた方には、1冊
あたり400円とさせていただきます。差額を、それぞれの
団体等の運動のための資金に充てていただければ幸いです。
<振込先>
口座名:教科書裁判を支える会
口座番号:01610−4−31943
※ 代金の支払いは、ブックレットに同封している振込用紙を
ご利用ください。
※ 「えひめ教科書裁判を支える会」の振込用紙を既にお持ち
の方は、お手数ですが<「坂の上の雲」代金>と通信欄に
ご記入ください。
<目次>
第一章 はじめに
――司馬遼太郎という名が持つイメージに惑わされることなく――
第二章 近代日本が朝鮮を植民地にするまでの歴史過程
―― 近代日朝関係史素描 ――
第三章 『坂の上の雲』の重大な問題点 ―作品に即して―
(1) 歴史的事実の無視・歪曲・偽造
(2) 誇大妄想的な域にまで達している「明治日本」賛美の
数かず ― その、あまりに独断的・非実証的なるもの ―
(3) 肯定し得る「明治日本」像を造り出すための、司馬の
巧妙かつ詐欺的手法
(4) アジアへの蔑視 ― 日本型オリエンタリズム ―
(5) 女性蔑視
(6) 日露戦争・明治日本を描く司馬の目線・立ち位置は国
家統治者のそれである
第四章 『坂の上の雲』によってつくられる新たなナショナ
ルアイデンティティー
第五章 おわりに― NHKの『宣伝文書』を前にして ―(以上)
*新たな情報・資料のうち重要と思われるものは、
 下記のHPに随時掲載いたします。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub4/4/sakakumo.html
********************************************
えひめ教科書裁判資料
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub2-sabannsiryou.htm
小説『坂の上の雲』をめぐる資料
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub4/4/sakakumo.html

今月号の雑誌「思想」は韓国併合100年を特集...

NHKドラマ「坂の上の雲」感想・投稿・意見交換掲示板 http://8101.teacup.com/shichoshacommunity/bbs/t1/l50

投稿転載 「坂の上の雲」を理解する上で大変参考になる雑誌 投稿者:naokora 2010/ 1/10
  今月号の雑誌「思想」は韓国併合100年を特集している。これは日露戦争の意味を考える上で大変参考になる雑誌だ。2009年12月に著書「日露戦争」を出した和田春樹氏も寄稿している。ネットで読める水野直樹氏の巻頭言だけでも面白い。日露戦争を語りながらその目的であった韓国併合を無視した司馬遼太郎の認識はこの「韓国合併奉告祭碑」そのままではないのか?そしてそれをそのままドラマ化しているNHKの認識は結局「韓国合併奉告祭碑」から変わっていないのではないか?
「韓国合併奉告祭碑」の前で考える(水野直樹)=雑誌「思想」2010年1月号巻頭言
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1029/kotoba.html 以下は碑文文章だけ抜粋
『韓国が併合されたので、八幡神社の神職や氏子、住民が奉告祭を開いたことを後世に伝えるためにこの碑をたてる。わが国と韓国との関係は神代のころから始まっているが、神功皇后が三韓征伐によってこれをしたがえ、秀吉が出兵して日本の強さを示した。明治維新の後、国交を結び、さらに保護国にしたが、危機の時代となったため、韓国皇帝は国土を明治天皇にゆだねることとした。天皇は東洋の安定を図るため、これを受け入れ、韓国は日本の領土となった。戦いによらず領土を広げたのは、天皇の仁徳によるものである。この偉大な業績は永遠に残るであろう。』
1910年の碑文の認識=韓国併合は偉大な業績
司馬遼太郎の認識=戦争はかっこいい、韓国併合は偉大な業績
NHKの認識=戦争は美化しない、では韓国併合は?
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[64] 池澤夏樹のドラマ感想投稿者:naokora 2010/1/9
2010年1月9日の朝日新聞朝刊に作家池澤夏樹のNHKドラマ「坂の上の雲」に関する感想「坂の上の雲・勝利の快感と転載の誘惑」(800字程度)が掲載されている。大意は、 NHKドラマは主人公3人の個人の運命ではなく彼らがいかなる益を日本国にもたらしたかが主題だ。秋山兄弟は日露戦争で日本を勝利に導いた子規は日本文学を近代化した。このドラマは主人公を魅力的に見せている、それは司馬の原作にも著しい。司馬の本を読めば最後は日本海海戦の勝利の高揚感で軍艦行進曲が耳に満ちる。  かかる優れた指導者を備えていたから日本は日露戦争に勝ったというのが「坂の上の雲」の結論だろう。
しかし歴史とは指導者の視点ではなく無数の凡人の視点で見るべきだ、又戦争は偶然の要素が大きい、勝てたのは幸運とし冷静な分析を大事にして、むしろロシア側の敗因を汲み取るべきだ。 NHKは無責任な天才待望論のドラマではなく兵隊の立場から書かれている「レイテ戦記」をドラマにした方がいい。...
参考 世界2010/1月号 /特 集 韓国併合から100年―現代への問い http://www.iwanami.co.jp/sekai/2010/01/directory.html
 一昨年、ある会合で、和田春樹さんが2010年の「韓国併合」100年の年にこそは、植民地問題にかかわってのきちんとした歴史認識を提出しよう、という趣旨の発言をされた。感銘を受けるとともに、私自身も歴史認識と植民地問題をあらためて考察しようと、ひそかに決意を固めたことであった。いよいよ、その年がやってきた。『世界』が「韓国併合100年」とそのことずばりの特集を組んだこと、それが東アジアの現在に向けて問いかけとなっていること、そして私もその特集に寄稿できたことをうれしく思う。
「韓国併合」は、これまで植民地責任にかかわって論じられてきた。他方、戦時下での朝鮮人の強制的な労働動員などは、アジア・太平洋戦争史のなかで考察されてきた。ただ、双方はべつのものではない。きっかけとしての「韓国併合」と、戦時下の出来事を包括的に考える概念として「帝国責任」ということを、ここでは提起した。この「帝国責任」からいまだ、その遺産相続者としての私たちは免れてはいない。  成田龍一 (日本女子大学)
<討議>
朝鮮植民地支配とは何だったのか
―「帝国」日本と現代
和田春樹/姜尚中/藤原帰一
2010年は、韓国 (大韓帝国) を日本 (大日本帝国) が併合し、植民地化して100年にあたる。日本は明治維新以後、近代国民国家として歩き始めて日を置くことなく、隣国朝鮮への介入圧迫を始める。いわば国民国家の成立と他民族を支配する「帝国」の成立がほとんど同時であった。日本と朝鮮半島との関係は、植民地支配が終了した1945年を経てなお100年の間、正常な関係とはいえない。北半分とは、戦後 (植民地解放後) 65年がたっても国交すら結べていない。私たちは、他民族を支配した「帝国」の過去をどう考え、現在の課題をどう解決していけばいいのだろうか。 朝鮮現代史、政治思想史、国際政治の専門家が討議する。
わだ・はるき 1938年生まれ。東京大学名誉教授。ロシア・ソ連史研究。現代朝鮮研究。著書に『朝鮮戦争全史』ほか、近刊に『日露戦争−起源と開戦』(岩波書店)。
カン・サンジュン 1950年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。著書に『日朝関係の克服』『在日』『悩む力』ほか。
ふじわら・きいち 1956年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授。国際政治学専攻。著書に『平和のリアリズム』ほか。

「帝国責任」ということ――「併合」100年を契機に考える ――成田龍一
 日本近現代史を学ぶ者にとって「韓国併合」をどう論じるかは、アジアに関わる歴史認識、帝国と植民地の歴史とどう向き合うかが試されることになる。「併合」をどう論じるか、植民地を所有した経験をどう認識するか。それは歴史を語ると同時に、現代を語ることでもある。戦後、戦争責任を追及し続けてきた「戦後歴史学」は、しかし「植民地責任」を十分に問うているとは言いがたいのではないか。現代の歴史学の課題を提起する。
なりた・りゅういち 1951年生まれ。日本女子大学教授。著書に『大正デモクラシー』『近代都市空間の文化経験』(岩波書店)、『歴史学のスタイル』(校倉書房) ほか。
東アジアを超えた「東アジア共同体」の構想を―ヒューマニティと多文化世界―坂本義和
 21世紀の人類が挑戦すべき課題とは何か。グローバル化が非可逆的なダイナミクスの中で、人間が悲惨な戦争や飢餓、貧困から解放され、自然環境とのエコロジカルな共生をめざし、そして他者を対等な人間として認め合い、その多様性と尊厳を互いに尊重することである。こうした文脈から、いま政権からも語られている「東アジア共同体」を見渡してみると幾つかの問題が見えてくる。そのひとつは、意識的に、あるいは事実上、共同体から外されている北朝鮮の問題である。それはなぜか。どう考えるべきか。
さかもと・よしかず 1927年生まれ。東京大学名誉教授。国際政治学専攻。主著に『平和―その現実と認識』『軍縮の政治学』『相対化の時代』『坂本義和集』(岩波書店) ほか。

2010年の戦後責任論――応答の失敗」からの再出発――高橋哲哉
 1990年代初頭から大きな社会的テーマとなった戦後責任問題。安倍政権に象徴される大きな反動期を経て新しい状況を迎えた今、これまでの総括を深めながら、現在の諸課題――排外主義、北朝鮮、「慰安婦」問題――を語る。
たかはし・てつや 1956年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。哲学者。著書に『戦後責任論』(講談社学術文庫)、『歴史/修正主義』(岩波書店) など多数。

日本の大衆文化開放の頃――ひとつの証言――池明観
 金大中政権下で日本の大衆文化開放政策の責任者であった池氏が、当時の知られざるエピソードを明らかにする。いま、日韓間では文化的交流が盛んになり、日本での韓流ブームも、また韓国での日本の小説のベストセラーも当たり前の話になったが、かつてはそうではなかった。韓国では「文化侵略」を懸念する声が大きかった。どのように文化開放政策は進められたか。原点をめぐるひとつの証言。
チ・ミョンクヮン 1924年生まれ。元翰林大学日本学研究所長。1972年に来日し、本誌にTK生の筆名で「韓国からの通信」を連載。1993年帰国。金大中政権下で韓日文化交流政策諮問委員長などを務める。

NHKを操っている人たちが「坂の上の雲」で伝えたいことは…。

NHKを操っている人たちが「坂の上の雲」で伝えたいことは…。2009年12月31日
http://sponta.seesaa.net/article/137021405.html
「坂の上の雲」を使って、NHKに影響を与えるような「日本の黒幕」の人たちが何を言いたがっているのか…。そのことに興味を持つ。
そして、この作品の影で、一人の優秀なシナリオライターが自殺していることを忘れてはならない。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20081218
私の父親のような金沢大学出のプチインテリであっても、人生のどこかで「NHKの番組企画に影響を与えるような人たち」と出会っている。彼らは、地方活性化などさまざまな思惑から番組を決定する。朝の連続テレビ小説の舞台になった地域の経済が新興されることを考えれば、利害調整機関があるのは当然のことだろう。
NHKの視聴率を誇る看板番組である「朝の連続テレビ小説」と「大河ドラマ」ならば、「日本の黒幕な人たち(具体的にいえば、東大閥を中心にした政財界のトップコミュニティー)」の影響下にあるのは必至だろう。
GHQは占領時、あだ討ちの物語である「忠臣蔵」の上演を禁止していたという。ならば、「日本の黒幕な人たち」は、どんなドラマを選択するのだろう。
それが私の興味であり、傍観者でしかない「非黒幕な私」の憶測である。
さて、ドラマは、「西欧列強」の悪魔的な欲望を描いていくが、それは、ヨーロッパ人たちが本来持っているものではない。そういうことが現実に起きている。

マスコミには報道されぬが、オバマ不支持勢力は、かつてのキング牧師支持勢力を超えるほどにもなっているという。
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http://tanakanews.com/090916rage.htm
 住民集会での議員に対する詰問は、一部の過激派だけの言動ではない。たとえば、民主党国会議員がオバマの健康保険改革を住民に説明するために、8月4日にメリーランド州の人口360人の地区の学校を借りて開かれた住民集会では、事前予測では20−30人の参加と思われていたものが、住民の大半である250人も参加し、今の制度をむしろ悪化させる健康保険改革や、財政赤字の急拡大、燃料費などの値上げを招く「地球温暖化」対策などの政策を批判する発言が相次いだ。(A Town Hall Protest in Maryland)
 8月の議会の夏休み期間中に、議員が地元に戻って開いた国政報告集会では、各地で人々が会場に入りきれないほどやってきて、議員を詰問し、いくつかの地域では乱闘になって逮捕者も出た。(Has the Tipping Point Been Reached?)(Two town halls turn into near-riots)
 米国では、左翼や右翼だけでなく、国民の多くが政府の財政金融などの政策に対して怒っている。日本では、日銀の金融政策に反対する人々が何万人も集まることは考えられず、金融は「専門家」(業界の身内)のみが公的な場での発言を許されるが、米国民は国家運営が自分のこととつながっていると思っているので、多くの人がバーナンキのドル過剰発行に反対して政治運動を起こしている。
(同時に、黒人のオバマを嫌悪する白人優勢論者や、反政府の武装闘争を標榜する極右勢力も勢いづいており、米国では武器の販売が過去最高になっている)
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ならば、オバマなるものも、必ずしもアメリカそのものではない…。レポートによれば、民主党と共和党という表面的な二大勢力ではなく、ワシントンvs各州ということなのかもしれぬ。
来年、アメリカが5つに分裂するという推測が、ウォールストリートジャーナルに掲載されたというが、55%の確率でそれが起こるなら、それは、「アメリカ」なる人たちがひとつの塊ではなかったことの証明だろう。
http://www.y-asakawa.com/message2009-1/09-message02.htm
(ロシア政府の最高級外交アナリストが「2010年にアメリカは6つの国に分裂する」と 予測)
中央政府はともかく、アメリカに住む人たちは必ずしも好戦的ではなく、自分達の子弟を兵士にしたいなどとはけっして思っていない。中央政府という中央集権のシステムが、アメリカ全体をコントロールして、「アメリカのかたち」を作っているだけだろう。
つまりは、クライアント&サーバシステム…。☆
情報処理の世界では、負荷分散という必然によって、クライアント&サーバの時代から、クラウドコンピューティングの時代になっていく。
ならばリアルな世界も、クライアントサーバ的発想からクラウドコンピューティング的な構造に変わっていくに違いない。
冷戦時、米軍がミサイル攻撃から通信網を守るために構想されたクラウドコンピューティングという技術が、アメリカそのものを変質させていく…。なんとも、興味深い流れである。
ドルの崩壊に留まらず、アメリカが変質・崩壊する中で、私たちは何を感じ、何を学ぶのだろう…。
そのとき、私たちの軍備は、ほんとうに私たちのために動いてくれるのだろうか…。(とはいえ、日本に武士道・侍の伝統がある限り、そのような悲劇は起きないと信じる。騎士道と武士道は決定的に異なる…。)
150年にわたって洗脳されてきた私たちは、覚醒できるのか。といえば、それはかなり難しいと言わざるをえない。
その難しさについては、新春に記事を上げることにする。
さて、今年も連日1000件を越えるアクセスがあり、3000件を越える日もあった。
閲覧者も数百人。無名な私としては、心から感謝申し上げる次第である。
「なかの人」での分析では、多くの方々が会社からご覧頂いている…。
http://sponta.seesaa.net/article/137021405.html


スポンタ通信2.2: 「坂の上の雲」…。そして、2009年。 http://sponta.seesaa.net/article/136962116.html

『坂の上の雲』が隠そうとすること - 元林徹の硬派辛口一直線...

司馬遼太郎は戦前の日本の歴史観は「尊皇」を柱とする「水戸史観」であり、本来は「日本人の精神秩序の中心」である天皇を一君万民の思想から「地上の皇帝」にした「プロシャ流儀の変な天皇制」をもとに築かれたのが明治国家だという。そして自分らの世代は戦前、この体制維持のためにこうした水戸史観の「麻薬」の入った歴史を教えられたという
http://blog.goo.ne.jp/tamapocho/e/4161533eba2968c1c6499743c9a1295a...

New!ドラマ『坂の上の雲』の感想と検証ブックレットのご案内

【転送・転載歓迎です】
「えひめ教科書裁判を支える会」からのお知らせです。
ドラマ『坂の上の雲』の感想と『坂の上の雲』検証ブックレットのご案内
NHKドラマ『坂の上の雲』の第3回後半から第4回にかけて、日清戦争
が描かれた。日清戦争とは、朝鮮から清の勢力を逐い出して、日本が朝鮮
を単独支配するために、日本の方から主体的・積極的に起こした戦争であ
る。
「清国軍と平壌あたりで一戦をまじえ、勝利を得たのち
和を講じ、朝鮮を日本の支配下におく」
(林薫外務次官(当時)著『回顧録』)
「曲を我におわざるかぎりは、いかなる手段にてもとり
開戦の口実を作るべし」(1984・6・22,陸奥外相が加藤増
雄書記官を朝鮮に特派したとき持たせた内訓)
 そして、まずは1894年7月23日に朝鮮王宮を軍事占領し
て、大院君(国王の実父)に、清国軍を朝鮮から駆逐するよ
う日本に依頼する文書を、脅迫・強圧的に出させ、日本の方
から一方的に清国軍を攻撃し始めたのである。
 しかし、ドラマ『坂の上の雲』の第4回目の放送は以下のよう
なナレーションから始まった。
「朝鮮西岸の豊島沖で日本艦隊は清国艦隊と遭遇し、戦
闘の火ぶたが切られた」
 日本の邪悪な意図はもちろん、日本の方から主体的、積極
的に戦争を仕掛けていったという<歴史的事実>に即した事
実経過さえ、ここでは、見事に切り捨てられ、日本の侵略・
犯罪性が隠蔽されてしまっているのである。
 これはごく一例に過ぎないが、やはりドラマにおける<日
清戦争の性格づけ>も、司馬の書いたとおりである。
ただ、原作にはない点があった。それは、中国での日本軍
の横暴ぶりを示唆する描写と、それに対する中国人の反感で
ある。これが<全体の中の点景>のように、エピソード風に
描かれていた。
 これをもって、原作には全くない、アジアの他国の人々か
らの視線が補充されていて良し、と言えるだろうか。私には、
原作『坂の上の雲』のもつ危険性がいっそう増した、と感じた。
 上記一場面は、日清戦争を正当化して描くという全体の基
調と、秋山兄弟を英雄的に――ときに非常に効果的に、日の
丸をクローズアップして映し出しながら――描くことを中
心として醸し出されてくる<ナショナルな心情>という全体
の雰囲気の中に埋没する一コマに過ぎない。
 しかし、この「一コマ」を描くことによって、「ああ、
このドラマは、単に、日本中心の手前勝手なものではなく、
ちゃんと他国の人びとの視線も描いている客観的なものだ」
と印象が生じ、全く自国日本中心に、日本に都合のよいよう
に主観的に描いている<全体>に対する信用・信頼度を増す
効果を果たすことになるのではないだろうか。
 かくて、右翼などではない、昭和の軍部を批判する司馬の
書いていることだからと、もともと安心し、信頼して受け取
っていたであろう『坂の上の雲』で描かれているところの「歴史」
を、視聴者は、さらに信頼度を強くして、事実と受け取り、
ドラマの中に安心して没入していくのではないだろうか。
 第3・4回を見ての私の危惧である。  (高井弘之)

 ブックレット『検証「坂の上の雲」――そのあまりに
も独善的・自国中心主義的なるもの――』、12月7日に
1000部できあがりましたが、残り20部ほどになりまし
た。年明け早々には増刷する予定です。で、残部がすん
だ後は、年明け10日前後の発送となるかと思いますが、
よければご注文ください。(えひめ教科書裁判を支える会)
<問い合せ先>
TEL・FAX/0898-23-5808(おもしろ共和国気付 高井)
<注文先>
@ TEL・FAX/089-977-9175(藤原)
A 090-7572-9175(藤原携帯)
Bメールアドレス/zxvt29@dokidoki.ne.jp(奥村)
<価格/@ 500円+送料(実費)>
※ 但し、20冊以上まとめて御注文いただいた方には、1冊
あたり400円とさせていただきます。差額を、それぞれの
団体等の運動のための資金に充てていただければ幸いです。
<振込先>
口座名:教科書裁判を支える会
口座番号:01610−4−31943
※ 代金の支払いは、ブックレットに同封している振込用紙を
ご利用ください。
※ 「えひめ教科書裁判を支える会」の振込用紙を既にお持ち
の方は、お手数ですが<「坂の上の雲」代金>と通信欄に
ご記入ください。
<目次>
第一章 はじめに
――司馬遼太郎という名が持つイメージに惑わされることなく――
第二章 近代日本が朝鮮を植民地にするまでの歴史過程
―― 近代日朝関係史素描 ――
第三章 『坂の上の雲』の重大な問題点 ―作品に即して―
(1) 歴史的事実の無視・歪曲・偽造
(2) 誇大妄想的な域にまで達している「明治日本」賛美の
数かず ― その、あまりに独断的・非実証的なるもの ―
(3) 肯定し得る「明治日本」像を造り出すための、司馬の
巧妙かつ詐欺的手法
(4) アジアへの蔑視 ― 日本型オリエンタリズム ―
(5) 女性蔑視
(6) 日露戦争・明治日本を描く司馬の目線・立ち位置は国
家統治者のそれである
第四章 『坂の上の雲』によってつくられる新たなナショナ
ルアイデンティティー
第五章 おわりに― NHKの『宣伝文書』を前にして ―
(以上)
*新たな情報・資料のうち重要と思われるものは、
 下記のHPに随時掲載いたします。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub4/4/sakakumo.html
********************************************
えひめ教科書裁判資料
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub2-sabannsiryou.htm
小説『坂の上の雲』をめぐる資料
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub4/4/sakakumo.html
********************************************
弓山正路
myumi@icknet.ne.jp.

なぜいま『坂の上の雲』なのか 司馬史観をどう見るか

アジア記者クラブ1月定例会
なぜいま『坂の上の雲』なのか 司馬史観をどう見るか
■2010年01月28日(木)18:45〜21:00
自動車会館 大会議室 東京都千代田区九段南4-8-13(市ヶ谷駅2分)…会場確定しました。
■参加費:会員・学生1000円、ビジター1500円、ワーキングプア(自己申告)1000円
ゲスト 中村政則さん(一橋大学名誉教授)
司馬遼太郎原作『坂の上の雲』の放映がNHKで始まった。司馬ファンにとっては待望のTV番組化だ。原作者の司馬は生前、この作品のTV番組(映画)化を 「誤解を招く」として、頑なに拒んでいたことでも知られている。それがなぜいま、映像化されたのか。関係者の間では元々この作品は、NHKが日露戦争勝利 100周年(2005年)にあわせて企画していたのだという声も聞かれる。来年は韓国併合から100年目に当たる。太平洋戦争を否定する人でも日清・日露 戦争は止むをえなかったとする立場の人は少なくない。明治の精神をルネッサンスのように語る声もある。政治的には左右の立場を問わず司馬遼太郎ファンは多 い。1月定例会は、「『坂の上の雲』と司馬史観」(岩波書店)を上梓されたばかりの中村政則さんをゲストにお迎えし、なぜ司馬遼太郎に誰もが惹きつけられ るのか、司馬史観の問題点を通して、なぜNHKが番組化に踏み切ったのか、『坂の上の雲』を徹底検証したいと思います。
中村政則さん(一橋大学名誉教授)1935年、東京に生まれる。一橋大学大学院経済学研究科博士課程修了。一橋大学経済学部教授、神奈川大学特任 教授などを経て、現在、一橋大学名誉教授(日本近現代史専攻)。著書に『近代日本地主制史研究』(東京大学出版会)、『昭和の恐慌』(小学館)、『戦後史 と象徴天皇』(岩波書店)、『近現代史をどう見るかー司馬史観を問う』(岩波ブックレット)、『現代史を学ぶ』(吉川弘文館)、『戦後史』(岩波新書)、 『昭和の記憶を掘り起こす』(小学館)ほか。訳書に『ビッソン 日本占領回想記』(共訳、三省堂)、アンドルー・ゴードン編『歴史としての戦後日本』(監訳、みすず書房)ほか。
チラシをダウンロードする
http://apc.cup.com/apc201001.pdf

New! 『坂の上の雲』宣伝に対する松山市長、松山市教委への公開質問状

【転送・転載歓迎です】
えひめ教科書裁判を支える会
「坂の上の雲記念館」の問題を考える会
『坂の上の雲』宣伝に対する松山市長、松山市教委への公開
質問状を下記の二団体が行いました。
添付ファイルをご覧ください。
皆さま
NHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』の放送に対する、
松山市及び、松山市教委の常軌を逸した宣伝行動等に対して、
「えひめ教科書裁判を支える会」と「『坂の上の雲記念館』
問題を考える会」は、連名で、12月18日に公開質問状を提
出しました。
公的機関であるにもかかわらず税金を使って、特定の放送局
NHKのドラマ『坂の上の雲』を見るようにと、松山市は、
大量の街頭ポスターや、地域でチラシの各戸配付などを行い、
市教委は、幼稚園児や小中学校の児童・生徒にチラシを持ち
帰らせ、家族揃ってドラマを観、一家団欒の機会を作るよう
にと呼び掛けました。
市民の内心に土足で踏み込み、干渉し、押し付ける行為であ
り、憲法19条の「思想及び良心の自由は、これを侵しては
ならない」との禁止条項に明らかに違反する行為です。
司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』に心酔する中村時広市長が
提唱し、推進する「『坂の上の雲』まちづくり計画」の全面
展開であり、小説『坂の上の雲』の過った歴史記述によって、
偏狭なナショナリズムを煽る行為でもあります。
2010年1月10日までに文書での回答を求めて提出しました。
「公開質問状」を、添付して紹介したいと思います。 以上

なぜ『坂の上の雲』に警鐘を乱打

2009/12/17(木) 午後 0:11 NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』NHKは今月29日から3年にわたり、司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』を原作としたスペシャルドラマを放映する。すでにキャンペーンがはられ、一大ブームになる勢いだ。
  『坂の上の雲』は日露戦争での騎兵少将秋山好古、海軍参謀真之兄弟の活躍を軸にした英雄物語であるが、同時に同郷の俳人・正岡子規を配した青春物語の要素を加味している。
  しかしドラマを面白がっているわけにはいかない。『坂の上の雲』は私たちが近代日本の経験から何を遺産として受け継ぐべきかを極めてゆがめて提示している。
 司馬は、朝鮮半島をロシアなどが支配したら日本の安全は保てない、しかも朝鮮には自主的に自分の国を守る力がない、だから日本が朝鮮の「独立」のためにたたかうのだ、日露戦争は「祖国防衛戦争」だった、日露戦争のあと日本はおかしくなった、本来の日本の正常な姿は日露戦争前の明治時代にあった、とくりかえし述べている。
  しかしこれらの司馬の主張は科学的根拠をもたない見解と断定せざるを得ない。

 すでに歴史的事実と研究は次のことを立証している。すなわち日清・日露戦争が日本の帝国主義自立に向けた「資本の本源的蓄積」のための植民地獲得侵略戦争であったこと、朝鮮独立のためとか「祖国防衛戦争」とかは当時、日本政府が内外に公言した戦争目的と同じことを言っているに過ぎないこと、近代日本を形成した骨格としての植民地支配の史実、とくに朝鮮王宮占領事件、朝鮮農民軍の蜂起と日本軍の皆殺し作戦、朝鮮王妃殺害事件などを隠蔽することには作品として致命的欠陥であること、そして征韓論以来の植民地獲得、「富国強兵」帝国主義路線が1945年の日本の敗北に行き着いたのであって、「明治の日本はよかったが日露戦争後おかしくなった」のではないこと、である。
  「他民族を抑圧する民族は自由ではありえない」ことを思い起こし、NHKドラマ『坂の上の雲』に警鐘を乱打しないわけにはいかない。(石)
全国一般東京東部労組機関紙コラム<二言三言>2009年11月号より転載

NHKは歴史の真実に目をふさぎ国民をどこに導くのか

NHKは歴史の真実に目をふさぎ国民をどこに導くのか - 京都民報Web
なぜNHKが「坂の上の雲」なのか NHKが11月から放送を開始したスペシャルドラマ「坂の上の雲」について考える講演会が12日、長岡京市のバンビオ 1番館で開かれ、奈良女子大学名誉教授の中塚明さんが「『韓国併合』100年と重ね合わせて なぜ、NHKが『坂の上の雲なのか』」をテーマに語りまし た。乙訓革新懇が主催したもので、 130人が参加しました。

 中塚氏は、著者の司馬遼太郎が生前、公の場所で「テレビや映画になると戦争をあおっているような誤解を与える」と視覚化を許さなかったことにふれながら、NHKの歴史観を鋭く批判しました。
 また、テレビでは「明治賛歌」のオンパレードになっているものの、日清、日露戦争が朝鮮を足場にして犠牲を強いた侵略戦争であり祖国防衛の戦争ではな かったこと、歴史の偽造について事実をあげて批判しました。出演している有名俳優たちの発言も司馬歴史観にそったもので誤りがあることを具体例をあげて指 摘しました。
 中塚氏は、当時の朝鮮では地方の役人の暴政に抗議して立ち上がった東学農民軍のたたかいがあり、抗日のたたかいがあったことや1980年の金大中の再起 はこのようなたたかいの歴史に根ざした決然とした行動であったことを強調しました。司馬さんは後になって朝鮮に対する認識に誤りがあったことを認めていた ことにもふれました。そして、NHKが歴史の真実に目をふさいだまま「坂の上の雲」を放映し、日本人をどこに連れて行こうとしているのか危惧していること をのべました。
 参加者からは「日本近代史をほとんど学んでおらず韓国併合についても何も知っていないことを恥じました」「私も学校教育では日本史を学んだが明治から昭 和前半の歴史は抜け落ちていました。今日学んで、私の世界観、人生観は大きく変わったことを自覚しています」などの感想が寄せられました。(梅林照夫)


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中村・松山市長が語る「坂の上の雲」のまちづくり
  11月29日からNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放送が始まる。舞台となる愛媛県松山市では10年前から同作をテーマにしたまちづくりを進め ている。まち全体を屋根のない博物館に見立てたフィールドミュージアム構想を軸に、松山市内に点在している小説ゆかりの史跡や文化資源を結びつけて、まち 歩きを楽しんでもらう考えだ。「坂の上の雲」をなぜ、まちづくりの基本理念にしたのか、また現在の進行状況やドラマについての思いはどうなのか、中村時広 市長に聞いた。
つづきは

「日韓併合百年」を控えての『坂の上の雲』どう考えても政治ドラマ

                            マだろう
特集記事「坂の上の雲」 正しい見かた・読みかた
『週刊金曜日』2009年12月18日号
■「これまでにないスケールのドラマ」への危惧
 なぜいま、NHKが「坂の上の雲」なのか
   醍醐 聰

来年は「韓国併合」一〇〇年にあたる。この時期にあえて
朝鮮侵略を美化した作品をドラマ化するNHKの見識が問われる。
原作者本人がミリタリズムが鼓舞されるのを恐れて、
映像化することを拒んでいた遺志をまげることは許されるのか。
中塚明・奈良女子大学名誉教授に聞く
 朝鮮侵略の事実を書かない「司馬史観」の危険性

NHKドラマ「坂の上の雲」の原作は、歴史の偽造に満ちている。
朝鮮半島支配のための戦争を正当化する司馬遼太郎の発想こそ
克服されるべき自国中心主義なのだ。



 編集長ブログより
敬愛してやまなかったジャーナリストが生前、幾度も同じ事を口にした。「司馬遼太郎は決して偏狭な国家主義者ではない」。いわゆる司馬史観には否定的な私 が『坂の上の雲』を引き合いに、日露戦争を肯定する姿勢を批判すると、「エセ愛国者がこの作品を悪利用しているだけ」という反論が返ってきた。
 取材に基づいた事実しか記事にはならないと言い続けた人が、単なる印象論を語るはずがない。といって、こちらも、司馬氏が生前『坂の上の雲』の映像化を 拒否していたことくらいしか知らない。そこで、「では、そのことを『週刊金曜日』に書いて欲しい」と頼み、打ち合わせを始めたところで病に倒れ、帰らぬ人 になってしまった。
 司馬氏の日露戦争評価について、『坂の上の雲』の一節がよく取り上げられる。 「ロシアの態度には弁護すべきところがまったくない。ロシアは日本を意識 的に死に追いつめていた」「日露戦争というのは、世界史的な帝国主義時代の一現象であることはまちがいない。が、その現象のなかで、日本側の立場は、追い つめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれもない」  この「避けられない戦争であった」という史観に対 し、たとえば大江志之夫氏は『日露戦争スタディーズ』(紀伊国屋書店)の中で、こう書いている。ちなみに大江氏は東京教育大学時代の私の恩師で、緻密な研 究者である。
「ロシア皇帝の韓国を日本の勢力圏として承認するという勅命も、満州の大部分からロシアの政府も軍も手を引くという提案も、日本の政府に伝えられることな く、日本は主観的な危機感だけから、あの大戦争を決定し、実行に移してしまった。……ロシア陸軍は対日戦争の準備も研究もしていなかった」
 最近では、和田春樹氏が「ロシアは露日同盟を検討していた」という史料を発掘した。日露戦争が「避けられた戦争」であるのは、ほぼ裏付けられているよう だ。ただ、司馬氏が新聞連載をしていた当時、どのような史料を把握していたのかはわからない。  いずれにしても、『坂の上の雲』が、「列強に打ち勝った 輝ける歴史の称賛」に利用されているのは間違いない。来年は「日韓併合百年」にあたる。NHKの『坂の上の雲』が政治的ドラマではないと、誰が信じるだろ うか。(北村肇)タグ: 司馬遼太郎, 坂の上の雲

投稿 みどり夫人の99年の発言とNHKのドラマ化強行

NHKドラマ「坂の上の雲」感想・投稿・意見交換掲示板
http://8101.teacup.com/shichoshacommunity/bbs/t1/12
にtarokanja氏から投稿があった。
(引用開始)
「映像化は絶対断ってくれ。これは遺言だ」みどり夫人の99年の発言とNHKのドラマ化強行投稿者:tarokanja 投稿日:2009年12月13日(日)15時36分6秒
 『司馬遼太郎――伊予の足跡』(アトラス出版)という一書を読む機会を得た。1999年5月1日付で発行されたものである。そのなかに「福田みどりさん特別インタビュー」が掲載されている。みどり氏は、故遼太郎氏の夫人である。
 私が注目したのは、「いま松山では『坂の上の雲記念館』をつくる計画が持ち上がっていますが、それについてはどのようにお考えですか?」というインタビューアの質問に答えて次のようにこたえている下りである。
  本人は「坂の上の雲」が軍国主義と間違われることだけは何より嫌だから、「映像化 は絶対断ってくれ。これは遺言だ」といつも言ってました。だから、これだけは守らな ければと私は思っているんですけどね
 司馬氏自身、1986年、NHKの番組で、「映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。うかつに翻訳するとミリタ リズムを鼓吹しているように誤解される恐れがありますからね」と発言。これは、活字化され、1998年『「昭和」という国家』(NHK出版)という表題で 刊行されている。司馬氏は、他のメディアでも同様の発言をし、それを取り消すことなく、終生拒否を貫いたのである。 みどり氏のインタビューは、その翌年 のことであり、それは司馬氏の決意の固さを裏付けるものである。
 ところで、99年と言えば、司馬氏逝去から3年目であり、NHKが遺族の説得を始めた年でもある。この時点でのみどり氏の立場・心情が確認できる。そし て02年秋には、「承諾」された。インタビューアの質問に出てくる「坂の上の雲記念館」の建設許可も同時に出され、03年3月にドラマ企画が発表された。
 03年、ドラマ化発表に当たって出されたNHKの「企画意図」という文章では、司馬氏とその遺族が映像化に反対していたことも、理由も、どのような経過 でOKがでたのかも一切書かれていない。ドラマ放映開始を境に刊行された出版物や新聞・雑誌などで、NHK関係者や司馬記念館関係者がようやくそのことを 語り始めた。それは次のようなものである。
  東西冷戦の対立構造は過去のものになり、また映像の技術レベルは圧倒的に進化して いることから、司馬さんの危惧は解消できると思いましたし、何より もこの時代だから こそ、『坂の上の雲』という小説を「活字離れ」といわれる若い人たちに読んでほしい、 と思ったからです。(西村与志木・NHKエグゼ クティブ・プロジューサー/『スペシャ ルドラマ・ガイド』第T部)
 ずいぶん長きにわたってNHKの皆さんや財団の関係者の方々と話しをしました。そ の過程で思ったのは、『坂の上の雲』が執筆された当時と比べて映像文 化というものが ずいぶん成熟したと思いました。それに技術も表現力もかつてより進歩しています。ま たいまならかろうじて、第二次世界大戦の悲惨さを直 接もしくは間接に知っている最後 の世代が、NHKスタッフにも残っているということでした。(上村洋行司馬記念館館長 /『プレジデント』12・14 号)
 いずれも作品の内容にある危惧の根に触れていない。多くの歴史研究者が指摘しているように、朝鮮理解、戦争のとらえ方、明治国家の見方など、内容にこそ 問題があるのである。この弁明とも受け取れる文章は、技術論に矮小化している。映像技術の進化は事実だが、それゆえに危惧が増すという見方もできる。「東 西冷戦の対立構造」崩壊は司馬氏存命中の90年代初めことである。司馬氏の死去は96年である。遺族への説得開始はその3年後である。
 これで司馬氏の危惧した「ミリタリズム」云々にこたえているだろうか。視聴者の疑問にこたえているだろうか。あとは読者の判断にまとう。
 日中、日韓の歴史共同研究、東アジアの平和・友好の構想などが始まり強まろうとしているなかで、NHKがいまなぜこの問題作をドラマ化するのか――放映 期間中も、厳しく問い続けられることになろう。とくに来年は韓国併合100周年の年である。その年にドラマは「日露開戦」を迎える。


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アトラス出版/司馬遼太郎―伊予の足跡
http://www.shikoku.ne.jp/atlas/book/book01.html
『司馬遼太郎ー伊予の足跡』(1999 年5月1日付アトラス出版)
B5判/写真(カラー/モノクロ)/112ページ/並製本

福田みどりさん特別インタビュー

四国、愛媛、松山、宇和島。司馬さんが、これだけたくさんの愛媛人を書いたことになんだか深い深いご縁を感じているんです。

『司馬遼太郎』(本名・福田定一)夫人の福田みどりさんは、ちょっと不思議な魅力に満ちた人である。ご主人のことを、生前もいまも「司馬さん」と呼ぶ。サンケイ新聞社時代、記者仲間だったみどりさんは、退職して後、司馬さんの作家活動を支え続け、制作のうえでもベスト・パートナーとなった。今回は、数々の司馬さんの思い出の中でも、『坂の上の霊」をはじめとする愛媛を舞台に書かれた作品のエピソードと、取材などを通じて出会った大勢の愛媛人について語っていただいた。 (撮影・写真提供◆伊藤久美子
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107page
これ、ずっと忘れられなかったんです。
──その散歩のとき、この光景が司馬先生の頭の中に浮かんでいたんだなあと、後で思われたわけですね。
 そう、そうなの。ちょうどあれを書き上げた頃でした。でも、この「あとがき」の1節、司馬さんにはめずらしくセンチメンタル(感傷的)でしょ。だからやっぱり、相当の感慨があったんでしょうね。最後には『……名状しがたい疲労と昂奮が心身に残った」と書かれてますよね。
 十年というのが、いかに大変な歳月かということなんてしょぅが、この年になると私にもそれがわかりますね。若いときはそんなのわかんないですけど。
──「人生五十年」という心構えで四十代のすべてを費やすというのは、残りの人生全てを投入するということですよね。
福田 そう。
──それを先生は『義務』という言葉で言い表されてました。
福田 そうですね、この作品は司馬遼太郎という作家にとっても大切なものでしたが,やはり後世に残し、どの作品よりもみなさんに読んでいただきたいということを強く感じながら書いたのではないかと、近頃特に思うようになりました。それだけにあの作品が軍国主義と間違えられるようなことになっては困るなと思うんです。
──司馬先生が魂を込めたものだけに。
福田 そうなんです。そんなふうな浅はかなものになっちやったら、かわいそうですものね。
「坂の上の雲記念館」につい
──いま松山では『坂の上の雲記念館」をつくる話が持ち上がっていますが、それについてはとのようにお考えですか? 
福田  本人は「坂の上の雲」が軍国主義と間違われることだけは何より嫌だから、「映画化は絶対断ってくれ、テレビも断ってくれ。これは遺言だ」といつも言ってました。だから、これだけは守らなければと私は思っているんですけどね。
 それだけに、いま松山で持ち上がってる「坂の上の雲」記念館のお話。これは誤解のないようにキチッとやっていただかないと困りますというのが、私の気持ちのなかにありまして、英雄伝説的に軍国主義を呼応するものだけは、つくってほしくないと思っています。
──ともすれば、日露戦争の勝利の部分だけがクローズアッブされる危険性がありますが、司馬先生は生前、『日本は日露戦争の勝利からおかしくなった』と、何度も書いたリ講演されたりしています。
福田 本当に、これは大切なことですから、皆さんにお願いしたいと思います。とにかく司馬さんは、正岡子規が大好きでしてね。あの小説は、秋山兄弟もさることながら、正岡子規を含めての青春群像なんてす。肝心の正岡子規がどこかへいってしまったら、大変なんです。
なぜ愛媛? なぜ四国だったのか?
──たまたまなのかも知れませんが、愛媛ゆかりの作品は長編だけでも『花神」と「坂の上の雲」があります。『ひとびとの跫音」もそうです。短篇としては、「幕末]のなかに「花屋町の襲撃」「酔って候」、そして『伊達の黒船」があります。大阪は例外として、これだけ小説にゆかりのある県も、めずらしいのではないかと思います。しかも、四国ゆかりということになりますと「竜馬がゆく」や『菜の花の沖」、「空海の風景」が加わり、これはもう司馬文学の舞台といった感じになりますよね。
福田 私も、司馬さんがいるときは、漠然と作品について一緒にしやべったり、感想を言ったりしてましたけど、いまになって振り返ると、ほんとに四国について書いているものが多いのよね。そのことを一昨年、ある方が手紙でご指摘くださって、私も初めてハッとしたの。これは何なんでしょうね。 
──不思議ですよね。
福田 つまり、司馬さんが惹きつけらる人が四国に多かったということでしょう。特に松山に多かった。だって、最期までずーっと口走っていたのが、正岡子規と夏目漱石でね、司馬さんは松山ゆかりの人の名前を毎日毎日言いながら旅に出ちやった、という感じなんです。
──子規に会いたかつたんじやないですか。
福田 そうねえ。生意気なことは言えませんが、たしかに精神体質は似ているように思います。
──精神体質といいますと?
福田 司馬さんという人は非常に「透明感」というのが好きな人でし
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「視聴者コミュニティ」が「坂の上の雲」特集のニューズレター16号

「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」が「坂の上の雲」特集のニューズレター16号を発行しました。
こちら
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「坂の上の雲」は「丸山諭吉神話」で始まった─(安川寿之輔氏)

福沢諭吉と『坂の上の雲』─「暗い昭和」につながる「明るくない明治」
2009年12月5日 東京文化会館
<「韓国併合」百年と『坂の上の雲』を考える会>結成総会
安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)
   この報告は、日本の近代を<「明るい明治」と「暗い昭和」>に分断する司馬遼太郎のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』が、丸山眞男 の<明治前期の「健全なナショナリズム」と昭和前期の「超国家主義」>の二項対立史観を踏襲したものであることを確認したうえで、『坂の上の 雲』や戦後日本の丸山眞男流の福沢諭吉研究では、なぜ「明るい明治」=<明治前期の「健全なナショナリズム」>が、天皇制軍国主義の「暗い昭 和」=<昭和前期の「超国家主義」>につながったのかが理解できないという問題の提起です。つまり、『坂の上の雲』批判は、丸山眞男の福沢諭 吉研究の誤った二項対立史観批判にまで進み出なければならないという問題提起です。..
>>続きはこちら

「韓国併合百年」とどう向き合うか(中塚 明氏)

―NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』を問う―..
NHK『坂の上の雲』放映の狙い
来年 2010 年は韓国併合 100 年にあたる。韓国にとっては国恥 100 年である。これをどう考えるか、日本人として否応なしに問われる。このとき、NHKがスペシャルドラマ『坂の上の雲』を 11月29日から3年かけて13回にわけて放映する。この小説は 40 年前、5 年に及び産経新聞夕刊に連載され、発行部数 2000 万部を超える国民的なベストセラーとなり、司馬遼太郎の代表作となった。日本が世界の大国ロシアに勝った日露戦争が主題で、いわば明治の「成功物語」であ る。
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「坂の上の雲」の破綻:司馬遼太郎を砲撃せよ!…

2009年 12月 09日 「坂の上の雲」の破綻:司馬遼太郎を砲撃せよ! アルルの男・ヒロシです。 ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 http://amesei.exblog.jp/10541305/ 正直、司馬遼太郎の小説は文章がだらだらとしていて読むと疲れてくるのだが、ドラマの「坂の上の雲」は、一応録画している。(まだ見てないけど) そんな折り、露日同盟案があったというおもしろい記録があったという記事が産経に出てきた。
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日本、ロシア主戦派の同盟案黙殺 日露戦争直前、新史料発見


Tokyo 2009年12月7日 14時17分

 日露戦争開戦1カ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた政治家が戦争を回避しようと日露同盟案を準備しているとの情報を得ながら、日本政府が黙 殺していたことを示す新史料を、和田春樹東大名誉教授が7日までに発見した。日露戦争についてはこれまで、作家司馬遼太郎氏が小説「坂の上の雲」で論じた 「追いつめられた日本の防衛戦」とする見方も根強く、日露戦争前史を見直す貴重な発見と言えそうだ。
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<本と話題>司馬遼太郎著『坂の上の雲』/その歴史観を読み解く

どこへ行く、日本。(政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される)より
http://ameblo.jp/warm-heart/theme-10011300578.html

参考文献紹介
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「坂の上の雲」放映に思う「歴史小説と歴史著述の違い」

老人党リアルグループ「護憲+」ブログより
マスコミ報道NHKの「坂の上の雲」放映には私も危惧していたものがありました。
以前、私は「歴史小説と歴史著述の違い」について色川大吉氏の言葉を引用し述べた事があります。
http://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/d/20090508
人はメディアの取り上げ方や巧みなムードつくりなどにより、小泉純一郎氏を織田信長に例えてみたり、歴史上の権力者達を領民思いの人情家や立派な人物のように錯覚してしまうのです。
もちろん強大な権力を持ち歴史に名を残すような人は、リーダーシップも並外れたものがあり、知恵も謀略にも長けていて、人心を掴む才も際立ったものがある のでしょう。ただし、彼らが常に考えるのは自己の強大な富と権力基盤を維持し更に大きく確かなものに固めて行くことではないでしょうか。
そういう意味では常に権力者というのは時代が変わっても考える事はそう変わるものではないかも知れません。現代の日本では「民主主義」とか憲法でも「主権 在民」が謳われておりすので、過去の権力者ほどエゴイスティックにやりたい放題という訳にはいきませんが。それなのに、どうして人はこうも簡単に自分を権 力者の側に感情移入さててしまうのでしょうか。そうやって束の間の権力者も気分を味わうのでしょうか。
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『坂の上の雲』を徹底検証した『ブックレット』完成

えひめ教科書裁判を支える会
NHKが大々的に宣伝し、放送を始めたスペシャル大河ドラ
マ『坂の上の雲』の原作を徹底検証したブックレット
検証『坂の上の雲』
――その、あまりにも独善的、自国中心的なる物――
を作成しました。

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今 なぜ「坂の上の雲」のドラマ化なのか

老 人党リアルグループ「護憲+」ブログ..
今 なぜ「坂の上の雲」のドラマ化なのか(1
2009-12-04 09:13:04 | マスコミ報道NHKは、11月29日夜8時に司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」のドラマをスタートさせた。
生前司馬遼太郎は「坂の上の雲」の映画化、ドラマ化の申し出があっても断ってきたと言われている。おそらく戦争体験者の一人として、ドラマ化されればその 時代背景となっている大日本帝国の富国強兵の国策が美化されて捉えられはしまいかと、一抹の不安を感じていたからではなかろうかと推察する。
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NHKドラマ『坂の上の雲』を反面教師として

1.さりげない語りで刷り込まれていく歪んだ歴史観

   元外務省アメリカ局長の吉野文六さんは沖縄返還交渉の際、日米政府間で密約文書が交わされていたことを証言した。その折、吉野さんが語った「歴史を歪曲 することは国民にとってマイナス」という発言は、『坂の上の雲』のドラマ化にも相通じる格言と思われる。NHKが人気キャストの演技の合間に、 
 「『坂の上の雲』は国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った『少年の国・明治』の物語で す。」
という企画意図にそって、明治の時代を「少年の国」、「小さな国」と呼び、「国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組んだ」という ナレーションを公共の電波をとおしてお茶の間に流す危うさを軽視できない。
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「坂の上の雲」第一回を見て

 第一回 を見て投稿者:tarokanja 投稿日:2009年11月30日(月)16時33分
(「坂 の上の雲」放送を考える全国ネットワーク)投稿用掲示板 より

1。ドラマとしては、原作を越えていない。説明ぽくて平板。原作のこの部分は、青春物語として大概の読者はひっぱっていかれる。司馬作品は、それ自身絵画 的で、映像化しにくいと言われるが、そのジンクスにはまった感あり。
『もみの木は残った』などを手がけた、NHKプロジューサー・ディレクターであった故・吉田直哉氏もこの点から一貫して『雲』の映像化に否定的であったと いわれる(牧俊太郎『司馬遼太郎『坂の上の雲』なぜ映像化を拒んだか」・現代作家研究会『司馬遼太郎読本』など参照)。

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今日から『坂の上の雲』の放送がスタート

いよ いよ今日から『坂の上の雲』の放送がスタートします(NHK総合、20時〜21時30分)。

それに先立って今朝からNHKは総合、教育テレビの多くの時間帯を番宣に充てています。その中で、10時05分〜11時30分総合の「ぐるっと日本」で松 山放送局が制作した「“坂の上の雲” 主人公の一人秋山好古 晩年の物語・中学校長として中学校生徒に伝えた言葉など」を観ました。
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NHKの「坂の上の雲放送」について

NHK の坂の上の雲放送について 投稿者:櫻井 龍市 投稿日:2009年11月26日(木)
(「坂の上の雲」放送を考える全国ネットワーク)投稿用掲示板 より

文章化すると長くなりますので思いつくまま箇条書きします.
1、この放送は公共放送として根本的に不適当です.

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「若い市民のためのパンセ」

高文 研の梅田正巳氏が同社のHPの「若い市民のためのパンセ」2009年8月号に、
「NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』批判
『東アジア共同体』形成が語られる今、NHKは『帝国主義史観』のドラマ
――こともあろうに『韓国併合』から100年にぶつけて」
と題する論説を掲載しておられます。大変有益な論説と思われますので紹介いたします。
若い市民のための新パンセ                                         

「坂の上の雲」まずはしっかりしたウォッチを!

JCJ ふらっしゅ [まぐまぐ!] 2009/11/24 1699号 より
       JCJ 石井 長世
2009/11/24
 NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放送が今月29日夜始まるが、このところ、連日鳴り物入りの前宣伝が続いている。
  原作は、司馬遼太郎の代表作で、文庫本で全8冊という長編歴史小説だ。司馬は作品のねらいを、維新によって近代的「国家」をもった新国民が、”少年のよう な”希望を持って、坂の上にかがやく白い雲をみつめてのぼってゆく明治の物語と位置づけた。 四国松山の士族の家に生れ、陸・海軍で活躍した秋山好古・真 之兄弟と、俳句の世界で新時代を開いた正岡子規の3人の物語である。
 司馬が生前、作品中の日清・日露戦争の戦争場面の多さが好戦気分を煽るとし て、映像化に反対したため、ドラマ化が実現するまでに時間を要した話題作だ。 ドラマは今年から3年にわたって、第一部から第三部までのべ15回、1回あ たり1時間半という大型番組で、今年放送の第一部5回は、3人の成長の過程と朝鮮半島の支配権をめぐる清国と日本の対立、それに日清戦争開戦が中心で、出 演者に本木雅弘、竹下景子、香川照之などの人気俳優をそろえたのも売り物だ。
 原作は、国民的作家・司馬の人気もあって、中高年を中心に 幅広い人気を集め、これまでに2000万部を売り上げたが、当初から「アイデンティティーを喪失した現代日本人が勇気を与えられる」とされる一方で、明治 が楽天的だったとする時代認識や、朝鮮、中国に対する蔑視的視点、日露戦争が”祖国防衛戦争”であったとする描写など、司馬の歴史観をめぐる批判も多く、 評価が分かれている。 放送されるドラマが原作と比べて、構成や史実の扱いがどのように変わっているのか、番組を観るまで分からないが、最近の近現代史の 研究成果を元に、司馬の歴史観の誤りを指摘する識者などの声が高くなっており、番組の展開から目が離せない。
 この企画のキャッチコピーは、「社 会構造の変化や価値観の分裂に直面し進むべき道が見えない状況が続く」日本にとって、「作品に込められたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考え る上で大きなヒントを与えてくれる」であるが、いくら大作とはいえ、一人の作家の世界の上に成り立つドラマが、果たしてそれほどの洞察力を示すことができ るのか、まずはしっかりウォッチすることにしよう。
 NHKは、横浜開港150年に当たる今年から向こう3年におよぶプロジェクトJAPANをスタートさせ、このドラマもその一環だ。来年の日韓併合100 年など近現代史の重要な節目に、正面から向き合おうという姿勢は評価したい。
 しかし、この歴史小説とドラマの事実認識が一面的だとする見方もある以上、NHKスペシャルやETV特集などこのプロジェクトの他番組を通じて、別の視 点や指摘を多角的に呈示し、視聴者の期待に応えるべきではなかろうか

メモ:..
丸山真男と社会主義 米原謙
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