良心宣言のリレー    (先着順)

徃住嘉文   「私はペンだ あきらめないペンだ」    2018/4/1

良心宣言「私はペンだ あきらめないペンだ」
私はペンだ。

1971年、ニューヨークタイムスが米国防省秘密報告をスクープすると、ニクソン大統領は記事差し止め訴訟を起こした。政権の圧力に、タイムスのジェームズ・レストン副社長は社内で檄を飛ばした。「経営危機になるかもしれない。そうなったら本社ビルの輪転機を二階に上げて、一階を売りに出す。それでも金が足りなければ、三階に上げて二階を売る。まだ必要なら三階、四階、五階…。最後までタイムズは戦う」
私はペンだ。
剣より強いペンだ。

2003年、高知新聞が高知県警の裏金取材を始めると、県警は、サツクラブキャップ竹内誠に次々と他の事件の特ダネをリークし始めた。「寝ててもスクープできるようにしてやる。でも、もし裏金を書くなら、お前との関係は終わりだ」。他社に抜かせ高知新聞だけ特オチにすると言わんばかりの警告。竹内から相談を受けた社会部長の中平雅彦は言った。「誠よぉ、記者の取った情報は読者のもんやろ。おれらのもんじゃない。かまん、出せえ。よそに抜かれても、かまん」
私はペンだ。
剣より強いペンだ。

1900年代、日本はロシアに、アジアに、豪州に、太平洋に軍隊を送った。新聞は戦意高揚の紙面を作り、ナチスドイツと軍事同盟が結ばれると、論説委員がユダヤ人禍を講演した。植民地新聞に記者を出向させた。3000万人を超す犠牲の上に8月15日を迎え、軍や政党が解体されても、多くの新聞は戦前と同じ顔ぶれで、同じ紙名の新聞を作り続けた。
私はペンだ。
剣に弱いペンだ。

2017年5月30日、国連の「言論と表現の自由に関する」特別報告者デービッド・ケイ氏は、日本の報道が政府の圧力で萎縮し、独立性を失いかけているとの報告を公表した。ジャーナリストが連携する組織が無いため、記者は会社に忠誠を誓い、上司の圧力に弱い、とも指摘した。4月、国際NGO「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度」ランキングで、日本は先進国中最低の72位だった。「政府やナショナリストが記者を脅している」とされた。

思い出そう。昨年、101歳で逝ったジャーナリスト、むのたけじさんの言葉を。
あの8月15日、「負け戦を勝ち戦のように書いてきた責任をとる」と、独り朝日新聞を退社し、3年後、故郷秋田で週刊新聞「たいまつ」を創刊した。
「戦争をやめさせようと思ったら、始まる前に力を尽くせ。それしか手はない。始まってしまえば、もうどうにもならない」
反骨のジャーナリスト、と呼ばれると首をかしげた。「ジャーナリストが反骨でなくてどうする」

だから私たちは良心の声に従い宣言する。
「私はペンだ。剣に屈し、市民の知る権利に仕えることを忘れたこともあったペンだ。でも私達はあきらめない。負けない。書き続けるペンだ」

丹原 美穂                       2018/4/1

私の「良心宣言」:メディアで働く皆さんへ ――デービッド・ケイ氏の報告を受けて―                2017年8月  
        メディアを考える市民の会・ぎふ 共同代表  丹原 美穂

 メディアで働く皆さん、私はメディアからの情報を受け生活するひとりの市民です。 その立場から訴えます。今こそジャーナリストとしての良心に従って報道する意思と決意を表明し、宣言して下さい。 なぜこのような呼びかけを一市民がするのか、その理由は次の通りです。

 2017年6月、国連の「言論と表現の自由に関する」特別報告者デービッド・ケイ氏が、日本のメディアの状況について報告を行いました。 ケイ氏は、ジャーナリストを処罰の危険にさらす特定秘密保護法の制定、放送メディアにとって脅威となる総務大臣の停波発言、自民党のテレビ局への圧力、3人のキャスターの降板など、多くの事実について報告しました。  その上で、ケイ氏は、報道に対し政府関係者から直接的かつ間接的圧力があり、歴史的事実についての議論が開かれていないなど、日本の状況には非常に深刻で懸念すべき兆しがある、と述べました。また、報道の自由を守るための大手メディアとフリーランスを束ねる連帯組織がないとの指摘もありました。 この報告内容は、市民が懸念してきたことと一致しています。

 今年4月 国際NGO「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度」ランキングでは日本は昨年と同じ72位となりました。これはG7の先進国中最下位です。
 しかし、ケイ氏報告に対し、日本政府を代表して、伊原純一・在ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使が「日本国憲法は表現の自由を保障しており、わが国は言論の自由、報道の自由を最大限尊重している」「政府が報道機関に対して違法・不当に圧力をかけた事実はない」などと強く反論しました。
  この政府見解は正しいでしょうか?  日本のメディアの反応に注目していましたが、小さくケイ氏趣旨と政府見解を載せただけでした。なぜメディアは何も言わず、何もしなかったのでしょうか? 
 この国が直面する言論・報道の自由に関わることです。しかも世界も注目している中で、もし日本のメディアが反論しなければ、政府見解を黙認したととられても仕方がありません。  思い出して下さい。かつて日本のメディアは、軍国主義政府に屈服して戦争を礼賛し、国民を戦争に駆り立てる役割を果たしました。そのため、戦後、メディアは“二度と同じ罪を犯さない”と固く誓って再出発したのではないでしょうか。私たち市民は、メディアが政府を監視する“権力のウオッチドッグ”であり、声を挙げられない弱者たちの代弁者であることを望んでいます。隠れた真実を暴き、言論・報道の自由を守り、国民の知る権利に応えていただきたいと心から願っています。

 そこで、メディアで働くみなさんにお願いします。 今こそ、政府に対し、市民に対し、何らかの意思表示をしてください。 何のため、誰のために報道するのか。守るべきものは何なのか。報道のあるべき姿はどうなのか、その思いと決意を、それぞれの「良心宣言」として表明していただきたいのです。 私は、メディアで働く皆さんと共に、メディアで働く人びとの間の連帯やメディアで働くみなさんと市民の連帯を作る事に協力し、共に真実を追求し、自分の人生に生かし、社会に貢献する事を宣言します。

上出義樹                       2018/4/6 

良心宣言 ~権力監視の使命にもとる報道の自己規制~
                     2018年4月5日 
                 フリーランス記者 上出義樹  
 
 私の駆け出し新聞記者時代、北海道の地方都市の警察記者クラブでは、警察が発表する軽微な事件・事故の記事を、記者たちの申し合わせで、各社ともボツにすることが時々あった。記者クラブの「談合」は、「事件が公になると親族の就職に支障が出る」、「自殺者が出かねない」ことなどを理由に、警察幹部から報道自粛の「お願い」があった場合に多かった。記事掲載の是非は別にして、読者・視聴者の知らないところで、「小さなニュース」はあっさりと葬り去られた。

 自省を込めて振り返ると、 事実上の“言論統制”がメディア自らの手で当たり前のように行われていたのだ。記者たちは、こうした行為をおかしいと感じなかった。警察を市役所や政治家、官僚、企業等に置きかえれば、情報源と記者の特別な関係、つまり、報道の自己規制(自主規制)は、テレビのキャスターを務める大手メディア出身のフリー・ジャーナリストらを含め、今も全国のいたるところで日常的に繰り返されている。

 ジャーナリストの最も大切な使命は真実を伝え、権力を監視することである。しかし、国連特別報告者のデービッド・ケイ氏が指摘するとおり、昔ながらの記者クラブ制度のもとで、マスメディアは、政府機関や警察・検察、大企業幹部らともたれ合い、あるいは権力からの直接間接の圧力などにより、伝えるべきニュースがしばしば歪められている。

 最近の流行語ともなった「忖度(そんたく)」の得意なイエスマンが報道の世界でも跋扈(ばっこ)し、報道の自己規制は、ますます強まっているように感じられる。ところが、新聞やテレビ自らが報道の自己規制の実態を含めマスメディアの日本的な負の体質・構造を洗いざらい検証することはない。
 
 先進国の中でも日本のメディア企業は社員記者の割合が高い。欧米とは違って、記者たちが自立したジャーナリストとして扱われることは少なく、大切な場面では自らの意志に反し、メディア企業の利益に従う傾向が強い。

 報道に携わる者は、マスメディアを蝕む自己規制をはねのけ、情報源やメディア経営者の顔色を窺うことなく、伝えるべきニュースを読者・視聴者に届けよう。それが、国民の知る権利にこたえるジャーナリストの責務にほかならない。

柴田鉄治                       2018/4/7

良心宣言 私はペンだ。あきらめないペンだ。私のペンが従うのは、私の良心だけだ。      
 柴田鉄治(ジャーナリスト、元朝日新聞論説委員・ 科学部長・社会部長)
 ジャーナリズムに関する言葉で、私が最も大事に思っているのは「ジャーナリズムは個が支える」というものだ。「言論の自由」「報道の自由」を支えるのは、新聞社やテレビ局ではなく、記者ひとり一人の個人の信念なのだ、と考えているからだ。
 私の専門の科学ジャーナリズムは、戦後に生まれた新しい分野で、「産みの親は原子力、育ての親は宇宙開発だ」と言われているが、60年の歴史を振り返ってみると、失敗に次ぐ失敗だったと思う。
1950~60年代は、科学技術にマイナス面があることに気づかず、バラ色の夢をばら撒いてしまった。たとえば原子力開発は、ヒロシマ・ナガサキを体験した世界で唯一の被爆国なのに、「あの強大なエネルギーを平和利用できれば、エネルギー資源のない日本は大いに助かる」と考えて、原発の推進にあっさり加担してしまった。
 また、水俣病も大量発生してすぐ、熊本大学医学部が工場排水の有機水銀が原因だと究明したのに、当時の通産省が御用学者に「水銀ではない」という論文を書かせて厚生省を抑え込み、12年間も垂れ流しを続けたこともチェックできなかった。

 70年代に入って原発のマイナス面も「トイレなきマンション」などと急浮上したが、それも「科学技術が進歩すれば、解決するだろう」と楽観視し、スリーマイル島事故やチェルノブイリ事故も「日本の優れた技術なら大丈夫」と軽視して、原発への監視を怠った。 こうした科学ジャーナリストの怠慢が福島原発事故を引き起こしたといっても過言ではない。地震も津波も想定されていたものだったのに、対策がとられておらず、また、米同時多発テロの教訓として米政府から「全電源喪失の対策を」と通告を受けていたにもかかわらず、経産省の原子力安全・保安院は何もしていなかった。

 科学ジャーナリストとしての私の良心宣言の第1点は、二度と監視を怠って、水俣病や福島原発事故のような悲劇を繰り返さないことだ。「ジャーナリズムの使命は権力の監視ある」という言葉があるように、水俣病や福島原発事故は政府がしっかりしていれば防げたものだけに、チェック機能を研ぎ澄ませることだ。
 良心宣言の第2点は、福島事故の処理も進まず、避難した住民たちもほとんど帰還できない状況なのに、日本政府は原発の再稼働を急ぎ、原発の輸出まで推進しようとしていることに対して、エネルギー政策を転換させるべく、全力を挙げることだ。いまからでも遅くないから、自然エネルギーの開発に切り替えさせる必要がある。

 さらに第3点は、水俣病でも福島事故でも、あれほどの被害を出しながら、いまだに政府関係者は誰一人刑事責任を問われていないことを、厳しく批判し続けることだ。 水俣病では、大量発生から20年後にチッソの社長や工場長が刑事責任を問われたが、最大の責任者、通産省や厚生省の責任は問われなかった。福島事故では、検察審査会の勧告による強制起訴によって東電の幹部らだけは裁判になっているが、最大の責任者、経産省の原子力安全・保安院は、誰一人責任を問われていないのだ。 原発の監督官庁は経産省の保安院から独立した原子力規制員会に変わったが、福島事故の責任が問われないようでは、規制委員会の規制も甘くなってしまうに違いない。

 以上の3点、科学ジャーナリストの「良心宣言」として、主張し続けることを誓います。(以上)

阿部岳                        2018/4/17

良心宣言       阿部岳(沖縄タイムス記者)

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
沖縄ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
志ハタカク
決シテ自己規制セズ
イツモタブーニ挑戦シテヰル
一日ニ三食
ナルベク規則正シクタベ
アラユルコトヲ
ジブンノ身ニ置キ換エテ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
名護湾ノ潮風ガナガレコム
古ビタビルノ二階ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ病状ヲ記録シ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ノ重サヲ測リ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテドウコハイカ聞キ広ク伝ヘ
北ニ差別ヤ権力ノ横暴ガアレバ
タダチニヤメロトイヒ
世ノ不条理ニハナミダヲナガシ
事実ヲ求メテオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレテ
同ジダケ批判サレル
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

金井奈津子                       2018.5.7

良心宣言:母として、ライターとして「本当のこと」を
                  フリーライター 金井奈津子

 「女を上げたわね」。女友達からそう言われたのは、書いては消し、消しては書きを繰り返した数行に対してでした。その取材には他にも3紙いたけれど、私以外は書かなかった反権力的な事柄。大袈裟ですが、「載ったら、夜道は歩けないかも」と腹を括った記憶があります。あの時、私は「良心宣言」をしたのかもしれません。
 算数も英語もできない。なんとか人並みな書くことは、神様が授けてくれたのだと半ば本気で信じているから、「本当のことを書こう」と決めています。
 2008年から憲法について書くようになったのは、「9条が変わったら、息子が戦争に行くことになるんだろうか?」という不安からでした。調べれば調べる程、そこに合理性は見当たらない。
 安倍首相は今も「国民みんなが認めている自衛隊を憲法に書き込むだけ。何も変わらない」と言い続けています。
 みんなが認めているのは「災害現場で命を懸けて救助にあたる自衛隊」です。「創設以来64年間、武器によって誰も殺さず、殺されなかった自衛隊」です。武器を持って戦場へ行く自衛隊と一緒にするマヤカシは許さない。
 憲法に書き込む自衛隊は「今、存在する自衛隊」だけではなく、「未来永劫、世界中の戦場に駆り出される自衛隊」なのだと、まだ気づいていない人に伝えたいのです。
 日本は40年間、生まれる子どもが減り続けています。引きこもりの10~20代は現在、推定38万人。悲しいことに行方不明になる人や自殺してしまう人もいます。入隊可能な心身の状態で18歳になる子どもはどのくらいいるのでしょうか。
 その現実の中で、24万7千人以上必要な自衛隊員には誰がなるのでしょう? 「あなた」や「あなたの子」かもしれない。「何も変わらない」わけはないのです。
 ひとりの母として、ライターとして、そこに気づいてしまったから、伝えないわけにはいかないのです。
 「権力者の言うことは、まず疑う」。わが師、中馬清福さん(元朝日新聞論説主幹・信濃毎日新聞社主筆)の言葉を胸に、疑うことで知り得たことを伝え続けていきます。

西里扶甬子                  2018/06/25

良心宣言  ジャーナリストであり続けること
                         2018/06/25
                   西里扶甬子(ジャーナリスト)

 良心と正義感のジャーナリストでありたいと思う。しかし、この理不尽さに満ちた世界で何が「良心」で、何が「正義」か分からなくなる。それでも、「事実」はひとつだろう。しかしその「事実」を伝えることで誰かが傷つかないかと怖れる。自分が攻撃の対象にならないかと怖れる。
 新聞・テレビ・雑誌などのマスメディアの社員であるとき、私たちは妥協を繰り返してきた。顔の見えない仕事や、誰かの手足になる仕事をしていれば安全だった。フリーランスであっても、使って貰うために妥協と自己規制をしばしば強いられる。
 インターネット時代の到来で、誰でもが発信者になれる。色々な分野の専門家が発信している。市井の一般人がどこかのマスメディアが取材に来るのを待たずに、みずから声あげることができる。孤立無援の個人として、発信し続けるブロガーがいる。その中に混じってジャーナリストであり続けることは、かなりしんどい。自分の姿勢が問われる。素のままで真剣に訴える人々に交じって、「プロのジャーナリストです。」ということがおこがましく思えてくる。

それでも、ジャーナリストを続けるための私にとっての「キーワード」は、3つある。「正義」「良心」「反戦」この「若気の至り」のような3つの言葉は、マスメディアの一員として働いて居た時には上司からも先輩からも同僚からも一度も言われたことはない。利益集団としてのマスメディアにとっては対極にある言葉なのかも知れない。ジャーナリストとしての寿命がもう余り長くないと自覚するようになった今初めて少しの気恥ずかしさと共に言えたような気がする。

茶谷文範                    2018/06/30

「良心宣言」への連帯表明
                         2018/06/30
               茶谷文範  北海道・羽幌タイムス社長

松前藩の統治、悪名高き村山、栖原ら場所請負が先住の人たちを蹂躙、クジラを追い、ニシンを獲って、街並みができ、明治中期に開拓民が山野に分け入った。戦前に炭鉱鉄道が走り、昭和40年ごろまで隆盛を極める。市への昇格に動きだすものの、炭鉱閉山で窮地に陥り、人口水増し問題が発覚、昭和45年に記された推定人口2万2千人、以降は真っ逆さま7千人余の町。それが北海道の北部、日本海に面した羽幌(はぼろ)町だ。
羽幌タイムスは昭和21年1月21日に第三種郵便物認可を受けている。前身の報道機関も伝えられるが、記録は定かではない。当時は複数の有力者がスポンサーで、ご多分に漏れず、なびき、顔色を伺い、行政の御用は怠らなかった。ただ、歴代には気骨、異能の記者も在籍し、昭和30年代には花街点描のコーナーが人気を博したようだ。町の衰退とともに、会社も痩せ細ったが、半世紀を優に超える高齢読者層に支えられている。

あの三里塚で泥まみれになり、右翼の衣のヤクザに狙われて学校を中退、以後、安藤昌益全集の編さんに没頭し、市街地から5㌔ほど離れた農地で昌益の「直耕」を実践する友がいた。数年前にガンで亡くなったが、選んだ生き方しかできないことを教えられた。私も纏わりつくしがらみを少しずつ捨て、いつでも尻を捲くる覚悟をつけた。駄目なものはなるべく捨てる。
ミサイル飛んでJアラートが起動した。ところが隣の初山別村は不具合で鳴らない。全国紙を含め、村に取材が集まる。タイムスは「嫌な音を聞かせなくて、良かったね」と書く。叙勲者も選ぶ、だから地方紙定番の叙勲者事前インタビューをやめた。
羽幌町は国の縮図のようなもので、ひずみも吹きだまる。交付税を人質に上意下達、それを振り分けるフィルターは存在しない。官僚たちの虚言、時々の記憶喪失には及ばないものの、自治体職員は流れてきたものには思考を停止させ、ただただ命令に従うのが務めだと励む。
政治屋に寄添って、いち早く情報をつかみ、補助金(お宝)で利益を得る。そうした者たちが力をつけ、地域にはびこる。アンタッチャブルだ。近年では省庁に追従の町補助金を使った商業施設を、「経営が行き詰まった」「特定の業者が連鎖倒産し地域経済への影響が大きい」などの理由で、町の税金を使い買取った。自殺者がでた一方、会社役員は懐を痛めることなく逃げ切った。
計画、建設から破綻まで、ずっと批判記事を書き続けた。圧力を心配する人たちもいたが、声を出し始めた住民、署名入りの勇気ある投稿、すれ違いざまに耳打ちでエールを送ってくれた老舗の主人、結果的に問題も残ったが、町の転機にはなった。羽幌タイムスの評価は、理不尽なことを、時々代弁するレベルだが。
好き放題の為政者、この田舎の誰もが首を傾げる。しかし、大半は処世術として安倍を選ぶ。それでいながらも、情報に飢えた時代を知る年配者の多くは怒りの刃をひそめる。下の世代の韜晦しているものはイライラするほど見えない。タイムスがたまに憂さを晴らすのを良しとするのか、苦々しく感じているのか分らないが、これからも正直に筆を持ち続けるだけだ。
道北の小さな新聞社から、「良心宣言」の集い人に竹槍一本の類だが強く連帯を表明する。

植村隆                    2018/06/30

良心宣言
                         2018/06/30
     植村隆  元 朝日新聞記者・韓国カトリック大学客員教授

 朝日新聞で32年間、記者をやりました。記者時代の最後の時期、札幌の北星学園大学で非常勤講師をやりました。いまは、韓国のカトリック大学で、講義をしています。授業では、ドイツ敗戦40年の1985年5月8日に西ドイツのワイツゼッカー大統領(当時)が行った演説を紹介しています。

こんな内容です。  「ヒトラーはいつも、 偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました 。若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないように していただきたい。(中略)若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、 たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。(中略)自由を尊重しよう。平和のために尽力しよう。公正をよりどころにしよう。正義については内面の規範に従おう」    
 「ヒトラー」を、独裁者と置き換えれば、どこの国、いつの時代で も通用すると思います。この演説は、ヘイトスピーチ、嫌韓・嫌中意識の蔓 延する現代日本にも向けられた言葉だと思います。私自身、この演説に示されたような生き方をしたいし、そうした若者を育てたいと考えています。
 その考えの一環として、仲間たちと「ジャーナリストを目指す日韓学生フォーラム」を立ち上げました。同年11月に第1回をソウルで開きました。東アジアの若者たちが、合宿して一緒に学び、語り合うという企画です。ナヌムの家で、元慰安婦のハルモ二の話を聞き、ソウル市長に「歴史にどう向き合うか」について質問しました。板門店で南北分断の現状を見ました。参加した学生たちは、友達同士になりました。第2回は8月に広島で行います。今後、那覇 、光州などでも開催したいと考えています。

 ジャーナリストの大きな使命は、平和と人権を守ることだと思います。若い頃、元慰安婦がソウルで証言を始めた、という記事を書きました。半世紀もの間、被害を語ることができなかった女性が勇気をもって、声をあげた瞬間でもありました。二度とこうしたことがおきないために 、日本人はこの問題を直視しなければならないと思って、記事を書きました。ところが、慰安婦問題を否定する政権の下で、この記事が「捏造」だと扇動する人々が登場し、激しい植村バッシングがおきました。娘を殺すという脅迫状 まで送られてきました。怯みそうになりましたが、「植村だけの問題ではない」「民主主義を守れ」と、多くの弁護士や市民が支えてくれました。私自身、事実に立脚した記事を書いていたので、恥じることはありませんで した。そしていま、私を「捏造」記者と攻撃してきた人々のウソが、 ぼろぼろと、明らかになっています。
 事実に立脚する限り、私たちジャー ナリストにとって、恐れるものはない、と思います。世界のジャーナリストの皆さん。事実という「武器」で、平和と人権を守るため、共に闘いましょう。

山田厚史                    2018/06/30

良心宣言   初心はなんだったのか? 記者は誰のための仕事か
  山田厚史  デモクラシータイムス共同代表  元朝日新聞社編集委員

 国会に喚問された元国税庁長官の佐川宣寿さんの証言を聞いて、貴方はどう思いましたか。
報道する記者から「財務官僚がこんなか、と思うと情けなくなった」という声を聞く。
国家公務員は成績優秀な学生でないと射止めることができない職業。佐川さんが入省した1982年は財務省の前身である大蔵省が官僚機構の中核として光り輝いていた時代だった。
 この頃、大蔵省を目指す学生の取材をしたことがある。「この国を運営しているのは官僚です。自分はその一人として国民に尽くしたい」などという学生が少なくなかった。行政を歪めるような政治家に負けないよう大蔵省が頑張らなくては、というような「独善的責任感」がこの時代にあった。佐川さんも時代の空気を吸って大蔵省を目指したと思う。その初心はどうなったか。
 安倍政権の「行政私物化」と正面から立ち向かっているのが前川喜平だ。しかし在職中は「面従腹背」で仕事して来た。本心をむき出しにして正論を主張すれば「外される」だけ。少しでも真っ当な行政にするには「腹背」しながらも行政の歪みに抵抗する、という人生を選んだ。官僚は「佐川か、前川か」という選択を迫られているが、出世の階段を上がるに従い「佐川」を選ぶ官僚が多いのが実情だ。

 記者はどうだろうか。新聞社や放送局など組織ジャーナリズムはお役所と似たところがないか。「公の仕事」であることは同じで、個人の考えより、組織としても論理が軸になることも同じ。決定的に違うのは、官僚は「政治の僕(しもべ)」で政治家が決める方針が上位にあるが、新聞や放送には「言論の自由」がある。
 憲法に「言論の自由」と書いてあるから、個人の記者が自由に記事を載せ、言いたいこと全部発言できる、ということではない。記者には組織員としての制約があり、政権は様々な力を持ち、アメとムチで会社の経営や記者活動にまで干渉してくる。

 私は現役時代、経済記者だった。金融・財政、国際経済など担当して来た。マクロ経済は政治と無縁ではないが、政治問題は政治部が担当し、私が記事を書くわけにはいかない。取材も縦割り。「縄張り」が決まっている。限定された枠の中で、自分らしい記事を「半年に1本」くらい書きたいと努力して来た。
 記者クラブで仕事をしていた頃は、明日発表になることを今日書く、という仕事に追われた。笑い話のように思えるだろうが、それが現場で実務だ。抜いた、抜かれた、に明け暮れる競争の日々。
 親しい取材先を作り、夜回りしてリークをもらう。この能力に長けた記者が「出来る記者」として優遇される。他社と競争し、結果を出して社内競争に勝ち抜き、ポジションを得る。競争に心身をすり減らす中で「初心」が霞んでいく、ということが少なくない。

 「記者を殺すに、鉄砲は要らぬ、ネタのひとつで、すぐ転ぶ」。
 そんなことを聞かされたこともある。朝日新聞の阪神支局で起きた暴挙は忘れることが出来ないが、銃弾を使わなくても記者を抑えることはできる。権力者はそう思っているだろう。
 カネやサケで篭絡しなくても、夜回りに訪れる記者を「大切」にして、エサになるリークネタを時々やれば、言うことを聞くようになる、ということだ。
 
 弾圧や介入という「北風」より、リーク漬けという「太陽」が効果的ということだ。情報は権力に集中している。記者は他社の媒体に載っていない見栄えのする記事を書くことで、評価され、その結果権力がほくそ笑む記事が巷にあふれる。そんな構造こそ、われわれは戦っていかなければならない相手だと思う。
 権力の懐に飛び込んで、相手の意にそわぬ記事を書けば「報復」が待っている。「出入り禁止」という警告、それでも改めなければ「クラブ外し」もある。
 日銀キャップをしていた頃、三重野総裁から「山田を外してもらえないか」と頼まれれたことがある、と経済部長から聞かされたことがある。部長は「三重野さん、それを言ったら終わりだよ」と諫めたと言いますが、困ったことになったと思ったという。
 総裁が経済部長に記者の更迭を求めることは、よほどのことで、普通はそうなる前に、様々なルートを通じて権力の意向は伝えられる。取材先の評判は、記者の配置に影響する。
 
 現役時代、記事や発言を巡り3度の名誉棄損訴訟を受けた。初任地の青森支局で教育を担当していた時、労組委員長である教員の首を切った私立高校の理事長から訴えられた。
二度目は銀行局長・国税庁長官を務めた大蔵省OBから。三度目は安倍首相(正確には安倍事務所にいる秘書3人)からだった。

 編集委員になってからも「担当から外せ」という外圧は多々あり、ここで書ききれないほどいろいろあった。
 それがジャーナリストの仕事だと思っている。常に「戦いの場」に私たちはいる。
 メディア経営が急速に悪化し、首相官邸の権力が強まる今日、現場の記者を取り巻く状況は、一段と悪化していることだろう。
 世の中の進む方向が明確で、経営が安定している時は、大手メディアはそれなりの力が発揮できた。だが、次が見えない今のような時代に、経営を維持するのは容易ではない。経営が揺らげば編集方針も揺れかねない。
 日本のジャーナリズムの特徴は、「会社員が記者をしている」ことにある。ジャーナリストというより、サラリーマン記者。リスクを取らず、秩序に逆らわない。そんな安閑とできる状況ではなくなった。
 経営の危機は、会社員である記者が「なんのために記者になったのか」を問い返す機会ではないか。
 公務員が「仕える相手は権力者か、国民か」を問われているように、記者は「どんなニュースを伝えるのが自分の役目か」を改めて問うているように思う。
 私は、朝日新聞を離れて「自分が発信したいニュースを発信する自由」を得た。インターネットというすべての人に開放された媒体を使って。大手メディアのような影響力はまだないが、伝えるべき情報を、受け手が分かりやすく、納得のいく形で伝えたいと考えている。
 権力情報が記者クラブを通じて「配給」される時代は終わった。リーク情報に踊らされるメディアの限界を突破し、「市民の情報ネットワーク」をどう形成するか。新しいジャーナリズムが、我が背中を踏み台にして飛躍することを熱望している。

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山本英夫                  2018/6/21

良心宣言  米日安保体制を現場から疑う
              2018年6月21日
        山本英夫(フォトグラファー/沖縄島名護市在住)

 今私達は何処に立っているのか? この国は何処に向かっているのか? 私達は何処に立たされているのか?
 
 この国は、武器輸出3原則を撤廃し、集団的自衛権の「合憲」化や沖縄の新基地建設のための臨時立ち入り制限区域を閣議決定し、グレーゾーンを作り出してきた。そして立憲主義も法治主義もかなぐり捨て、特定秘密保護法を強行し、公文書の改竄や廃棄も現在進行形だ。この国は73年前の夏、どれだけの皇国の公文書を燃やし尽くし、証拠隠滅を図ったか。こうして過去の悪行に目を瞑ってきたのだ。

 気がつけば、再び軍事力で儲ける国へ走り出している「日本」。要は人を殺し殺される国へ。「島嶼防衛」の掛け声の下、再び沖縄を切り捨て、琉球諸島を戦場にする計画を打ち出しながら。
 
 ジャーナリズムは「中立」であるべきなどと戒められてきたが、この結果は何をもたらしてきたのか? 過去のこの国の歴史を曲解するばかりか、財務事務次官らのセクハラを擁護し、詩織さんへのレイプ事件すら黙殺してきた。戦後73年も経ちながら、私達は何を変えてきたのだろうか。ジャーナリズムは、こうした汚れた手と握手してきたのではなかったか。
 
 今私たちがやるべきことは2つ。①現場からまっすぐに現実を直視すること。②現実への検証-人類の行く末を睨み、生きものとしての根源を問い直すこと。お金と便利さを求める余り、生存について鈍感になることを今食い止めなければ、人類は自滅するだろう。
 この国のマスコミは余りにも偏っている。米国から押し付けられた安保体制を嬉々として報じ、恥じていない。この国が歩んできた歴史を忘れ、沖縄に大半の軍事基地を追いやってきたからだろうが、せめて住民の目線を取り戻してほしい。

 一人ひとりは微力でも私はお互いを敬愛し、支えることが出来る信頼関係(取材する側/される側を横断し)を私たちのジャーナリズムの根底に据えたい。小さな動きから大きな組織をも耕していくねばり強さを身につけたい。私は、ブログ「ヤマヒデの沖縄便り」を2014年6月から日々発信している。また、随時、写真や原稿の提供を続けている。ひとりひとりの視界は余りにも狭く、無力かもしれないが、これらを横に繋げることを日々意識しながらとりくんでいる。

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